ドキュメンタリー/ミハウ・レシュコフスキー監督作品



[スタッフ]
監督・原案・構成:ミハウ・レシュコフスキー/撮影:アーネ・カールソン/録音:ラーシユ・ウランデル/ミキシング:オーヴェ・スヴェンソン/編集:ミハウ・レシュコフスキー、ラッセ・スンマネン/製作:リスベト・カプリエルソン/音楽:J・S・バッハ「マタイ受難曲/第39曲憐みたまえ、わが神よ」/ナレーション:「刻印された時間」A・タルコフスキー著より(邦訳版「映像のポエジア」キネマ旬報社刊)/タルコフスキー・インタビュー・フィルム:「A POET IN THE CINEMA」「FILM IS A MOSAIC MADE UP OF TIME」ドナテッラ・パリーヴォ製作より

1988年/スウェ一デン映画協会製作/ドキュメンタリー/35mm/スタンダード/カラー/100分
配給:ケイブルホーグ/日本公開1989年

[解説]
『サクリファイス』──スウェーデンの南、バルト海をのぞむコトランド島を舞台に、“犠性と人間愛”をテーマに描かれた、映画詩人アンドレイ・タルコフスキー魂の遺作。

本作は生涯を映画に捧げたタルコフスキーの作家・人間像を『サクリファイス』撮影時の映像とインタビューーで綴った感動のドキュメントである。監督は、『サクリファイス』で編集・助監督を努めたミハウ・レシュコフスキー。

「映画は現実の時間を描き得るただひとつの芸術である。スクリーンに映し出される、時間のモザイクであり、作家は自由にその素材を選ぶことができる」。(A・タルコフスキー)

演技・美術・衣装・セット、力メラのフレームに納まる全てに注意を払う、撮影現場でのタルコフスキー。続いて挿入される完成した本編での場面。ナレーションで語られるタルコフスキーの言葉と映像が巧みに絡み合い、イメージを映像化させていく“劇的な瞬間”をレシュコフスキーは捉えていく。─主人公アレクサンドルが息子と一緒に浜辺で植える松の木、薄暗い部屋、庭のぬかるみ──これらの“殺風景”なものを、“聖なるもの”へと変えてしまう、タルコフスキー映像哲学の本質がフィルムに刻み込まれる。

加えてタルコフスキーの思想をダイレクトに伝えるインタビュー・フィルムが効果的に使われ、その作家像を浮き彫りにしていく。

また本作は、映画作家タルコフスキーを促えると同時に、病気・撮影上のトラブルといった困難と闘うその人間像にも焦点をあてていく。

『サクリファイス』のクライマックス・シーン(アレクサンドルが家に火を放ち、サクリファイスの儀式を実行する場面を撮影していたカメラが故障し、タルコフスキーは不完全な形で撮影を終了しなければならなくなる。当時の日記からラリッサ・タルコフスカヤ夫人がその苦悩のようすを回想する。しかしタルコフスキーの熱意はスタッフを動かし、不可能と思われたセットを修復させ、再度行われた撮影を無事完了させたのである。

「集った人たちが、ひとつの構想の実現を目指し、家族のように団結すれば山をも動かす。創造的雰囲気が生まれれば、発案者が誰かなど問題ではないのだ。」(A・タルコフスキー)

ガンという肉体的苦痛。そして自己の映像表現を追求する精神的葛藤。これらをその強固な意志で克服し撮りあげた『サクリファイス』は、さらに約40分にも及ぶシーンのカット・編集作業が行なわれ完成した。レシュコフスキーは、冒頭に置いた美しいシーンを始めタルコフスキーが、最後の気力と全神経を注ぎ切り落としていったその断片を、本作の中に散りばめている。

タルコフスキーは『サクリファイス』編集途中て病に倒れた。本作の最後には、病床から色彩処理の指示をしているシーンが納められている。

タルコフスキー独自の映像言語として語られる“水・炎・空中浮遊”。本作において、これらを操るタルコフスキーにふれる事により、僅かながらも映像作家タルコフスキーの本質に近づく。

そして、死を意識しながら、最後まで創造の意欲を持ち続けるその感動的な姿にふれるとき、本作がタルコフスキーからの最後のメッセージである事に気付くのである。


企画概要上映作品タルコフスキー年譜武満徹インタビュータルコフスキー論関連情報
監督作品:
殺し屋ローラーとバイオリン僕の村は戦場だったアンドレイ・ルブリョフ惑星ソラリスストーカーノスタルジアサクリファイス
関連ドキュメンタリー作品:in 「ノスタルジア」
in 「サクリファイス」


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