1957年6月、テヘランの貧しい下町に生まれる。すでに第一夫人のいた男とわずか1週間の結婚生活で離婚した母親はモフセンを産むが、生活のために働きに出ざるを得ず、祖母に育てられる。敬虔なイスラム教徒の祖母はいつも彼をモスクに連れていった。小学校に通い始めた頃、別れた父親が息子を奪おうと画策したため、1年半もの間外に出ることができなかった。教師であるおばが同居しており就学前から読み書きができたので、この間はひとりで本を読んで過ごした。このことが彼の想像力を養うことになる。その後、学業と並行して8歳の時から13に及ぶ職場で雑用係として労働を経験。後に作家として「イランのスタインベック」と呼ばれる素地を作る。母親は弁護士と再婚。その義父の影響を受け、政治活動に身を投じ、15歳で高校を中退。当時アメリカの強力なバックアップを受けていたパーレビ王朝を打倒するための反体制運動に加わり、2年間非合法の政治活動に従事したが、17歳のとき警官から銃を奪おうしてナイフで襲うが失敗、逆に撃たれて逮捕される。未成年だったため死刑にはならず、4年半に渡る獄中生活を送る。比較的人道的な政治犯の刑務所で服役したが、時として刑事犯の獄舎に移された。この時の経験が85年に監督した「THE BOYCOTT」に反映されることになる。79年、イスラム革命の成就により釈放されてからは政治活動から身を引き、文化活動に転じる。作家、ラジオ・プロデューサー、映画監督として活躍。作家としては28の短篇、2つの中篇、1つの長篇、そして10の戯曲を発表する(95年の資料による)。92年に出版された3巻に及ぶアンソロジー「唖者の夢」は英語、アラビア語、トルコ語、クルド語、ウルドゥー語に翻訳された。

 82年に映画監督として最初の作品を発表。特に89年の『サイクリスト』でイラン大衆の圧倒的な支持を受け、以後、最高の動員力を誇るイラン最高の人気監督となり現在に至る。国際的にも200近い各国の映画祭に出品され20以上の受賞歴を持つなど、17歳年長のアッバス・キアロスタミとともにイランを代表する監督として、高い評価を得ている。

 また家族や友人を対象とした映画学校を主催し、98年には愛娘サミラの初監督作品『りんご』をプロデュース(脚本・編集も担当)、カンヌ映画祭の正式部門「ある視点」に選出され、18歳というカンヌ映画祭史上最年少監督のデビューをお膳立てした。翌99年にはサミラがカンヌ最年少受賞監督となった『ブラックボード 背負う人』(審査員賞)の製作・脚本・編集も担当した。そして翌2000年には、夫人のマルズィエ・メシュキニの監督デビュー作『私が女になった日』をプロデュースした(サミラの母である最初の妻は事故死している。マルズィエはその妹)。

 たびたび検閲禍にあい、近年は意識的に製作ペースを落としていたが、2001年に久々の長篇『カンダハール』を発表。5月カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミア上映され、エキュメニック賞(国際キリスト教会審査員賞)を受賞する。また10月にはユネスコから<フェデリコ・フェリーニ>メダルを授与される。この授与式の模様は世界に配信され、日本の報道番組でも放映された。

 2001年の9・11米国同時多発テロの余波は、アフガニスタンの窮状を世界に訴えた『カンダハール』、そしてマフマルバフ自身に及ぶことになった。10月のヨーロッパ・キャンペーンから帰国後、再びイラン=アフガン国境に戻り、アフガニスタンの子供たちの教育に関するドキュメンタリー『アフガン・アルファベット』を撮影。また同時にイラン国内のアフガン難民キャンプにおける「識字教育 10ケ月計画」をハタミ・イラン大統領に提出する。その計画書は、難民キャンプにいる50万人の子供達(居住許可のない子供達も含む)への識字・衛生教育を、イラン政府の主導のもと、ユネスコなど国際団体の支援を受け実施することを提案。02年1月には、居住許可のない不法難民の子どもたちにも学校登録を認めるための法律改正を成功させた。同時にマフマルバフ自らACEM「アフガン子ども教育運動」というNGO活動を開始。現在はアフガニスタン国内の学校建設にまでその活動は及んでいる。これらは『カンダハール』『アフガン・アルファベット』の収益と世界中から寄せられた募金をその経費にあてている。

1982
Tobeh Nasuh 真の改悛

1983
Two Blind Eyes 二つの見えない目

1984
Fleeing From Evil to God 悪魔から神への逃亡

1986
Boycott ボイコット

1987
行商人 The Peddler
◆3話オムニバス

1989
サイクリスト The Cyclist
◆イタリア・リミニ映画祭最優秀作品賞(89)、ハワイ映画祭最優秀作品賞(91)
Marriage Of The Blessed 祝福された結婚

1991
Time of Love 愛の時間
◆イラン国内では現在も上映禁止
カンヌ映画祭正式出品「ある視点」部門(95)

The Nights of Zayandeh-Rood 
ザヤンデルードの夜
◆イラン国内では現在も上映禁止

1992
ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ Once Upon A Time, Cinema
◆東京映画祭(92)アジア秀作映画週間で上映、NHKでも放映された◆カルロヴィヴァリ映画祭審査員特別賞、国際比評価連盟賞(92)他

1993
The Actor 俳優
カジャール王朝の様々な映像
 A Selection of Images In Ghajar Dynasty
◆短篇◆東京映画祭(95)アジア秀作映画週間で『サラーム・シネマ』とともに上映された
Stone & Glass 石とガラス
◆短篇

1995
サラーム・シネマ Salam Cinema
◆カンヌ映画祭正式出品「ある視点」部門 (95)、ミュンヘン映画祭最優秀作品賞(96)

1996
ギャベ Gabbeh
◆カンヌ映画祭正式出品「ある視点」部門 (96)、東京映画祭最優秀芸術貢献賞(96)他
パンと植木鉢 A Moment of Innocence
◆ロカルノ映画祭審査員特別賞(96)他

1997
風と共に散った学校 Wind, Ruined The School
◆短篇◆『アフガン・アルファベット』の併映作品として日本公開予定

1998
サイレンス Silence
◆ヴェネチア映画祭上院議長金メダル賞

1999
キシュ島の物語 The Tales of Kish
◆3話オムニバス、全体の製作と第3話「ドア(The Door)」を監督◆カンヌ映画祭正式出品「コンペティション」部門(00)

2000
The Test of Democracy 民主主義のテスト
◆『キシュ島の物語』の続篇となるオムニバスの一篇として製作された◆DV撮影

2001
カンダハール Kandahar
◆カンヌ映画祭エキュメニック賞(01)、ユネスコ<フェデリコ・フェリーニ>メダル、タイム誌2001年ベストワン、ナショナル・ボード・オブ・レビュー「表現の自由」賞他

2002
アフガン・アルファベット The Afghan Alphabet
◆DV撮影

※映画の年代は「イラン・ファラビ映画公社」の資料による
※太字タイトルは日本劇場公開作品を示す

マフマルバフ・フィルム・ハウス


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