2011年9月30日 |     アーカイブ   No.1 No.2 No.3 No.4 No.5 No.6

毎週金曜日更新

④ 監督とのQ&A

今回はフォルカー・ザッテル監督来日時のQ&Aを採録します。 下記は、2011年10月5日 ドイツ文化センターでの上映後Q&Aセッションの模様です。


Q1:(30代男性) 今、映画を拝見したばかりです。福島原発の事故が起きたばかりの日本に住むものとして、とても興味深く拝見しました。そこで2つ質問があります。監督が原発を撮ろうと思った理由と、原発を撮影する上で苦労したエピソードがあれば教えてください。

A1:私が生まれ育った1970年代、「原子力」は人類に夢を抱かせた最新の技術と思われていました。しかし、その後、チェルノブイリを経て多くの事故が起こり、様々な議論が巻き起こっています。私は、そもそも原子力の知識がないことが不安を招くと考え、原発とそれをとりまく産業がどういうものなのかを知りたいと思い、この映画を撮ろうと思いました。苦労した点は、テレビなどのルポとは違い、かなり長い間、詳細に原発所内を撮影させてもらうため、 彼らと信頼関係を築き、取材許可を貰うことが大変でした。ちなみに、私が撮影をした2008年当時は、 原発がCO2削減の切り札として注目されていた時期でした。「原発ルネッサンス」などという言葉すらあったほどです。ですから、撮影の許可を貰うには最適の時期だったといえます。施設の側も、自信満々で撮影をさせてくれました。しかし、福島の事故を経た今では、こうした映画は撮ることは、 かなり難しくなったのではないかと思います。

Q2:(40代女性)福島第一原発の事故を経験し、今、多くの日本人が原発をやめたいと思っています。
しかし、政治家たちもマスメディアも全く当てにできません。どうしたらよいのでしょうか?

A2:チェルノブイリ原発の事故がおきた1986年、ドイツのマスメディアも当初は、積極的に事故を報道していました。しかし、それは一時的なものですぐに減ってしまいました。「安全性を高めれば、アンダー・コントロール(制御)できる」という考えが出てきてしまったからです。しかし、現在では安全性をいくら高めても、放射性廃棄物の問題などのリスクは残るというのが実情です。原子力エネルギーは、「エネルギー・コンツェルン」といえるくらい、政治と経済が密接に結びついていますそのため、政治的なコンセンサスを得るのは簡単ではありません。これまで原子力で莫大な利益を得てきた企業は、非常に厳しい選択を迫られているからです。ドイツでは脱原発までに30年かかっています。 ですから、ここは忍耐強く問題と向き合い、マスコミは報道を続け、政治で解決をめざす以外は無いのではないでしょうか。やり方によっては、日本でもっと早く脱原発をする道だってないわけではありません。

Q3:(20代ドイツ人男性)撮影方法について伺いたいのですが、映画では、原子力産業の側で働いている様々な職員の人々の様子が描かれています。一番印象に残ったのは、原子力のコントロールに携わる人々のミーティングの場面の「沈黙」です。ふつうなら、もっとパニックになっていい場面なのですが、彼らは冷静にすぎるように感じました。監督はその現場にいてどう感じましたか?

A3:ドキュメンタリーを撮る上では、いつも色々な制約があります。今回の撮影でも、常に原発側のPR担当者が傍に張り付いていました。その辺の設備にも勝手に触ったりすることは許されていませんでした。しかし、そこで私が考えたのは、それならばいっそのこと、そういう事実をそのまま映していけばよいのではないか、ということです。どんなに冷静を装っていても、どこかで彼らの気持ちや不安、ほころびが映るのではないかという気持ちで撮影しました。ただ、こうしたドイツの、非常に秩序立ったシステムを見た後で目にした福島原発の事故の映像は、とてもカオスに感じました。例えば、映画の中に登場するグンドレミンゲンという原発がちょうど福島と同じ構造の発電所なのですが、それがいかに複雑な構造を持っているか知っているだけに、大変な衝撃を受けました。知識がある分だけ、そこで起こっている事態がどんなに大変なものなのか、すぐに理解できたのです。

Q4:(50代男性)私は昔、エネルギー・エンジニアの仕事についていました。映画のタイトルについてお聞きします。なぜ、『アンダー・コントロール(制御下)』というタイトルをつけたのでしょうか?チェルノブイリや福島などの事故を見れば、原発はアンダー・コントロールではありえず、むしろ『アウト・オブ・コントロール(制御不能)』とつけるべきではないでしょうか?

A4:私は『アンダー・コントロール』というタイトルに複数の意味を持たせています。もし、『アウト・オブ・コントロール』というタイトルの場合、それはあまりにも直線的なタイトルです。 原発産業には、この力を支配できると考えている人々が多くいます。

しかし、人間が原子力をアンダー・コントロールの状態にしようとすればするほど、そうじゃないということが分かってくるのが現状です。 そうした2つの意味を込めて、あえて現在のタイトルにしました。

Q5:(高校3年生)3つ質問があります。

①監督は「ありのままの原発の姿を撮りたい」という意図で映画を撮られたと言いました。映画ではカメラが固定されて長回しで撮影しているところが多いのは、それを実現するための意図と捉えて良いでしょうか? 

②映画内では登場する人の名前や役職名は出てこなかったのですが、それはなぜでしょう? 

③本作は原発反対のプロパガンダではないと仰いました。しかし、ラストシーンを見ると、明らかに監督の原発反対への意図を感じますが、それについてはいかがでしょうか?

A5:①についてですが、私は本作を35mmフィルムを使い、シネマスコープのサイズで撮ることによって原発を美的な視点から捉える事ができると考えたのです。35mmフィルムもすでにデジタルでの上映にとって代わられようとしており、その意味では、原発と同様に20世紀のモニュメントだと思いますので、この方法で撮影するアイディアが気に入っています。

②クレジットを入れていないのは、意図的なものです。私は彼らを個人としてではなく、巨大なシステムの代表者として描きたかったので、あえて匿名にしたのです。

③ラストシーンについては、観客とテクノロジーが取り残されるような場面にしたかったので、あのような描き方になりました。もし、あなたが本作のラストシーンを見て、「反原発」というメッセージを受け取られたとしたら、それはやはり、福島の事故を経験したからだと思います。本作は福島の事故の直前に、偶然に撮られたものなのです。もし、反対のメッセージを込めるとしたら、もっと具体的なものになったでしょう。私の意図としては、いかにこのテクノロジーが「見えない」ものかを描いたつもりです。

クイズ・ギャラリー

前回のクイズギャラリーの答え

原発の「冷却塔」の中です。ちなみに、この写真の冷却塔は現在、遊園地として再利用されていて、真ん中に遊具が設置されています(予告編の最後に出てきます)。冷却塔は、原子炉を冷却するための機能を持ち、大きいもので100m以上の高さがあるものもあります。こうした冷却塔は主に湿度の低い欧州で主流です。湿度が高く、海岸沿いに建設され、冷却水に海水を使うことが多い日本では見られないタイプです。


毎週、本作の中の画像をクイズのように紹介します

これは原発のどの部分でしょう?

※解答は次週更新時に掲載します

監督:フォルカー・ザッテル 2011年/ドイツ/98分/35mm/カラー/シネマスコープ/ドイツ語/ドルビーデジタル 原題:Unter Kontrolle 後援:ドイツ文化センター 宣伝:Playtime 配給:ダゲレオ出版 イメージフォーラム・フィルム・シリーズ