──自分の外見についてどう思う? 自分はブスだとか魅力がないとかで落ち込んだりする?

セディ:冷やかされたり、からかわれたりするのはしょっちゅうだった。おまえは男の子なのか、女の子なのかって。女の子なのにボーイスカウトの服を着ていたりするのはおかしいって。私ははっきり、言いたいことを言うし、人のケツを蹴っとばしてたんで、男の子には人気なかった。でも、今ではそんなことをセクシーだと思う人もいることを知ってる。だから私がヒゲを生やしたいと思ったり、シャワーを一週間浴びなかったとしても、私は自分のやりたいようにすればいいと思ってる。だって私は私のことが好きだし、私の持っている「女の子の力」が好きだから。

もちろん私も、まわりの人と同じように不安を感じたり、自分を非難してたりする。今はスリムなのが流行ってるので、いつも自分の体付きについて悩んでる。背が低すぎるとか、太ってるとか、男っぽすぎるとか、女の子っぽすぎるとか、きれいすぎるとか、汚なすぎるとか。いつも自分自身に対して不満を持ってる。でも、そんなことを考えるのが急に馬鹿らしく思う時がある。そんなのは感傷的だって。

 ──君がすごいと思ってる女性アーティストをどんな分野でもいいから5人あげてみて?

セディ:ウーン、今の私のヒーローはガールズ・バンドじゃないかな.……。フィフス・コラム、トライブ8、ビキニ・キル、L-7、ブラット・モービル。私は女の子の力を生み出して、セクシーに汗を流して、跳ねまわるようなサウンドを創りだす女の子をエライって思ってるの。あと、街の全然知らない人、悪い女の子、しょっちゅうトラブルを起こす人、私のお母さん、日記を付けてる女の子、私のガールフレンドたち、私にレズビアンになることを教えてくれた兄マーク、グラフティ(落書き)・アーティストたち、学校から落第する女の子たち……。

 ──君には怖いものなんか無いように見えるけど、小さかった時は怖がったりしたのかな。初めて学校に行く時とか、キャンプに行く時とか…

セディ:私が怖いもの無し? 私はいつも人の群れが怖かったし、学校の最初の日も、社会そのものも、冷たく堅いコンクリートのビルも怖かった。でも同時に私はクラスでいつもふざけてるガキ大将だった。そしてシャイで内向的な、弱虫のブッチだった。さっき言われたように、私は怖いもの無しで失う物は何も無いように見えるかも知れないけど、本当に私のことを知ったら、私の悪夢、私の身の回りで起きているレイプ、殺人なんかの暴力知ってるでしょう。

 ──いつも二人で話してることだけど、頭の中にあるフィルム以外の創作プロジェクトを、これを読んでいる人に教えて。セディのしたいことでフィルムでできないこととか?

セディ:愛し合っている二人の女の子が出てきて、それは両方とも私が演じるんだけども、結局どこにも行かないっていうロードムービーを作ろうと思ってる。私たちは悪い子で、車を盗み、人を殺したりする。こういったことの多くは想像したり、子供の頃聞いたお話からきてる。私が演じるキャラクターというのは私の中で連続したドラマや、アクションや冒険をしてるみたい。でも今は大体、レストランの調理場の仕事を見つけて、手に入れたばかりの盗んだ安いギターを弾いて、シカゴに引っ越すことばかり考えてる。

 ──今までにやった、または今もやってるドラッグは?

セディ:11歳の誕生日にジャックダニエルを一瓶あけた。私は気を失って降り積もった雪の中に倒れこんだ。友達はどうしていいかわからなかったって言ってた。血や緑色した胆汁をたくさん吐いた。結局は病院に運びこまれ、ほとんど死にかけた。18時間意識を失っていて、温度計をケツの穴に入れられるまでなんにも憶えてなかった。それがあって私はお酒をたくさん飲まない。それが私の初めてのドラッグ体験。まあ、6歳だったかぐらいにヒッピー達のマリファナ入りブラウニーを食べて眩暈を起こしたことを除けば。高校生の時はたくさんアシッドをやったし、マリファナも時々吸ってた。40オウンサー(?)を飲んで馬鹿なスキンヘッドとつるんでた。コカインをやって、負け犬みたいな気分になったし、エクスタシーで楽しんだりした。でもだいたい、ストレートでいるほうがかっこいいと思ったし、そうして他の人がめちゃくちゃになるのを見ているほうがクールだと思ってたのでそうすることが多かった。今では、やることが多すぎてドラッグにお金と時間を費やすどころじゃないけど。

 ──自分のこれまでの作品で、何が一番の力だと思う? 何が盲点だった? 弱点は?

セディ:私の作品の一番の力はそれが存在するということだと思う。私はゲイであってもなくても、家のなかに居て文章を書いたりなんかしている子供達について考えてる。そうした子達は自分を表現をする場を持ってない。だって多くの子達は自分の創ったものが価値があるんだなんて教わってないし。テレビでも見てなさい。気にするならもっと自分の服装のことを考えなさい、なんて言われてる。私の今こうして得た場所はほとんど事故(とちょっとした運)みたいなもの。3年前には自分の撮ったテープをごみ箱に放り込んでたのをよく憶えてる。私は苦しんでた。誰も見ないと思ってたから私の作品は正直。私は私の生き方で真実を語る。私の作品はただそれだけ。人生、アート、自分であること、自分が好きなことそして嫌いなことは何なのかを知るということ。そうすることによって何かを愛したり、想像したり、何かのために立ち上がったり、また何かを憎み、そしてそれに対坑することができる。

くそー、難しい質問だなあ。自分がすることを考えたり分析したりしないようにしているから、自分の作品の強いところと弱いところを見つけるのは難しい。たぶん…私の作品の一番の弱みは、恐れじゃないかな。自らを露出すること、そして人々が自分の作品を見て何を思うかということに対する恐れ。だってそういったことは本来アートとは関係ないものだけど、人々が私の作品を見て、ジャッジして、私の全てを知ったつもりになられるということは、実際なかなか無視しにくいことよ、ねッ?


[インタビューを終えて……マーク・エワート]

──実はセディは僕の妹だ。僕の大きな誇りだ。老人、あるいは中年の天才というのは知ってるけど、彼女の場合はとても若い、まだ19歳さ。セディは4年前、親しい友達が酔っ払いの車に跳ねられたのを聞いてから、寝室に閉じこもりってフィッシャープライス・カメラ(*注1)で美しい、新鮮な短編映像を作ってる。最初の作品は…名前を忘れてしまったけど、ざらざらした大きなノイズ音に満ち、広告の「大売り出し」の文字、テレビのショットが連なるものだった。

セディは身の回りのもので戯れ、ポップ・ミュージックや映画の断片を切り貼りし、自分の顔と身体を一番劇的に(シンディー・シャーマンのように)引用し、それらの新しい使い方を生み出している。新聞の切れ端がブローチに、帽子に、そして翼の生えた恐竜になる。セディ自身はチャビー・チェッカーに、ジゴロ役の主演スターに、髭を生やした殺し屋になる。初めて恋する時の気持を、早く接しすぎたジャック・ケルアックを、身の回りの暴力沙汰を、レズビアンとしてのアイデンティティーを、アイデンティティーそのものを、その他全て諸々の価値ある素晴らしいこと全てを追い求めながら。

最初にセディの作品についての記事を読んだ時、「ケネス・アンガー」の様な「よくある平凡な映像で綴ったアメリカ中西部の暗いカミング・アウト話」かと思った。僕と同じ誤解をしないように、今のうちに、いや今すぐに『それは愛じゃない』『ラブリーと呼ばれる所』『私とルビーフルーツ』といった彼女の作品を見ておこう。どうせ、10年後には彼女の名前なんか誰も知らなくなっているのを知って驚くのさ。

*訳注:オーディオ・テープを使ったオモチャのビデオカメラ

「ミラージュ」誌1992-8月号より


フラット・イズ・ビューティフルそれは愛じゃないセディ・ベニング、インタビュー 


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