1924年、アメリカ合衆国オハイオ州に生まれる。少年期より映画に関心を持ち、41年には最初の8ミリ作品を制作。第二次大戦直後の46年に来日し、スター・アンド・ストライプ紙の映画評を47年か49年まで担当、いったん帰国して54年にコロンビア大学を卒業した後再び来日、69年までジャパン・タイムズ紙の映画評を続けた。また、61年にカンヌ映画祭での溝口健二の回顧上映に協力して以来、欧米への日本映画の紹介に尽力し、『小津安二郎の美学』『黒沢明の世界』など日本映画に関する多くの研究書を著している。69年から73年にかけては、ニューヨーク近代美術館の映画部門キュレーターに就任し、日本映画の特集や、アメリカ実験映画の世界各地での巡回上映など、意欲的な活動を行なった。
一方、8ミリや16ミリなどでの個人映画、実験映画の制作も続け、64年には飯村隆彦、大林宣彦らで結成した<フィルム・アンデパンダン>の活動に参加、胎動期にあった日本の実験映画界をリードした。映画ばかりでなく、54年から59年までは早稲田大学でアメリカ文学を講議するほか、文学や演劇、音楽、美術など、多岐にわたる分野で評論・創作活動を繰り広げ、また日本文化への関心も高い。現在、東京に在住。

Small Town Sunday 1941年/サイレント/8ミリ/15分
The Woods 1949 年/8ミリ/12分
The Object 1951年/8ミリ/13分
The Doll 1952年/8ミリ/10分
Charade 1952年/8ミリ/15分
Ricecare 1952年/8ミリ/7分
The Two-dollar Bill 1953年/8ミリ/20分
A Sentimental Education 1953年/8ミリ/8分
The Unknown Grave 1953年/8ミリ/7分
Bardepholus 1953年/8ミリ/8分/カラー
Life, Life, Life 1953年/8ミリ/6分/カラー
Till Death Do Us Part 1953年/8ミリ/10分
The Virtuous King 1953年/8ミリ/8分
Masks of Japan 1953年/8ミリ/5分
The World of Jacques Callot 1953年/8ミリ/7分
青山怪談 Aoyama Kaidan 1957年/8ミリ/20分

し Shi
監督、編集=ドナルド・リチー/1958年/8ミリ/10分

The Western 1958年/未完

秋絵 Shu-e
監督、編集=ドナルド・リチー/1958年/8ミリ/11分

Sei-Chu-Do 1959年/8ミリ/5分

犠牲 Gisei
監督、編集=ドナルド・リチー/1959年/8ミリ/10分/サイレント
題名の「shi」は“詩”、“死”と関連づけられ、「Shu-e」、「Gisei」はそれぞれ“秋絵”、“犠牲”を意味している。秋絵とは“春の絵(春画)”をもじったものである。

The Double 1959年/8ミリ/未完

The Dips 1960年/16ミリ/未完

Nara 1961年/16ミリ/14分

The Shrines of lse 1961年/16ミリ/14分

Three Places in Kyoto 1961年/16ミリ/14分

熱海ブルース Atami Blues

監督、編集=ドナルド・リチー/脚本=マリー・エヴァンス/撮影=ヒラノ・ヒデトシ/音楽=武満徹出演=ワダ・チエコ、スズキ・トモスケ/1962年(1967年新サウンドトラックで再編集)/16ミリ/モノクロ/20分
熱海の旅館で出会う男女の恋の駆け引き。温泉に女が入っているのを知らずに戸を開けてしまった青年。それがきっかけで二人は出会い、男は女を執拗に追いかけまわす。60年代始めのにぎわう熱海の温泉街の面影が伺えるオール・ロケ作品。当時アントニオーニと小津の影響を受けていた監督が、男女の感情を冷徹なまでに繊細なリアリズムで描いた作品。くどきに成功した女性を置き去りにして、自分の指のにおいを嗅いで去っていく男。全体を覆うアンニュイさが映画のラストでユーモアへと転化する。映画の完成時は40分だったが、1967年に再編集して20分に短縮された。「この映画は熱海の歓楽街で2日間で撮影された。当時私の妻だったマリー・エヴァンスがつくった、行きずりの恋についての簡単な話がきっかけとなり、相手の青年よりも、女性についての映画となるように深化させていった」(D・リチー )

戦争ごっこ Wargames
脚本、監督、編集=ドナルド・リチー/1962年/16ミリ/モノクロ/22分
14人の少年と一匹の山羊による、死をテーマにした寓話的な物語。白い山羊をめぐって海辺に集まった半裸の少年達。死の儀式は残酷にも仲間と共存することの難しさを露呈する。波で洗われる山羊の屍を観て、自分の孤独が掘り起こされるのを黙視するとり残された少年。誰の少年期にも起りうる出来事が、とてつもない緊張感によって凝縮され、新たな記憶として創造される。台風で撮影が中断するというアクシデントに見舞われながらも撮影を続行、荒れた海が画面に驚異的なダイナミズムを与えている。荒れる海にかぶせる音響効果の創作に多くの時間を費やした。舞踏家土方巽の協力のもとに千葉県の海辺の村で撮影された。クノックル・ル・ズート、メルボルン映画祭で受賞

Drakula in Wien 1963年/16ミリ/6分

ふたり A Couple
監督、脚本、編集=ドナルド・リチー/制作・撮影=クリフォード・ハリングトン、ヘンリー・コタニ/音楽=ハゥウェル・ターキット(シューマンのピアノ曲)/出演=スミリャ・ステファノヴィッチ、ホソヤ・キヨシ、マリー・エヴァンス、スズキ・トモスケ、武満徹、左幸子/1963年/16ミリ(オリジナル35ミリ)/60分
「この映画のアイデアは、主演のスミリャ・ステファノヴィッチに出会った時にひらめいたものである。厳密なシナリオにより、撮影に6ヶ月、編集にさらに1ヶ月を要した。主人公と女主人公の二重の『意識の流れ』は、あたかも2人がこの映画全体を思い出しているかのように、一方の、あるいは他方の心のなかで、あるシーンが他の別のシーンを暗示するという、一種の連想形式によって中断される。そのために、いくつかのシーンは、主人公あるいは女主人公の視点から、数回にわたって現われる。物語の最後のシーンは映画のまん中に出てくるし、映画の最後のシーンは、当然のことながら物語のはじめに戻っていく。」(D・リチー )

ライフ Life

監督、編集=ドナルド・リチー/出演=ウエダ・タカシ、コダマ・チカコ/1965年/16ミリ 4分
この4分間の映画は、1965年度フィルム・アンデパンダン・フェスティバルのためにつくられた、2分間の作品がオリジナルとなっている。ある男の、誕生から死までの一生を風刺したもので、世界の各国で公開され、ニューヨーク近代美術館には永久コレクションとしてプリントが所蔵されている。ウエダ・タカシとコダマ・チカコは2人とも当時、文学座の研究生であったが、この映画に出演以来、ほうばうの舞台や映画の投がつき、ひろく知られる様になった。落語に似た伴奏は、作者自身のサービスである。

猫と少年 Boy with Cat

監督、編集=ドナルド・リチー/音楽・演奏=マセネ/出演=ワタナベ・ジュンイチ/1966年/16ミリ/モノクロ/5分
そもそもはコダックの新しいカラー・フィルムのテストとして撮影された。「しかし、テストどころか、サウンドをつけると、小さな1本の映画作品にみえた」(D・リチー)。コダクローム・カラーフィルムに白黒現像処理を施して完成。横たわる青年の妄想が、夏の午後の陽射しのなかで、化学合成してフィルムに焼き付いたかのような奇跡的ともいえるチャーミングな映像詩に仕上がっている。蝉の声が響き渡る縁側に、黒猫が一匹。黒のTシャツを着た少年がフレームインして、畳の上に寝転がる。少年は、畳の上に無造作にポルノ写真をばらまいて見つめる。少年の欲望に反応したのか、彼のすぐ側に寝そべる黒猫。ピアノの練習する音が響いている。その音の崩れ方が、少年の屈折した心理を際立たせ、何気ない日常的な風景を特権化する。

死んだ少年 Dead Youth

監督、編集=ドナルド・リチー/詩=高橋陸郎(「死んだ少年」より)/1967年/16ミリ/モノクロ/13分
高橋睦郎の同名の詩によってインスパイアされ、エロスとタナトスの一元性を見事に映像化した。
「映画は、それぞれ異なったテンポを持つ三段階の時間を進行する。未来(墓地のシーン)は現実の時間で示され、アクションも実際に起こった速度で起きる。現在(海辺のシーン、主人公は死んでいる)は速めのテンポで進む。そして過去(主人公が生きている全部のシーン、それに彼の思い出)は、私達みんなにとってそうであるように、急速にスピードを増していく。過去は死んだものであり、現在に手を差しのべている(これは、映画が写真と切り離せない理由であり、私が映画に興味をもつ理由のひとつである)。自由なのは、希望の住み家、つまり未来だけなのだ。映画化された詩として、この映画はもはやある特定の死んだ少年を語ってはいない。全ての少年は死んでいる。何故なら詩人は死んでいるからである。(詩を書くのは彼であり、死ぬのも彼だ)。そして映画は、彼の死んだ過去と、彼の生きた、肯定された未来について語っている。」(D・リチー)

のぞき物語 Nozoki Monogatari

監督、脚本、編集=ドナルド・リチー/撮影=ヤマグチ・マコト/音楽=ザ・ホリーズ/出演=アベ・サンペイ、キクチ・シゲコ/1967年/16ミリ/モノクロ/20分
「ある夜日比谷公園で16組の行儀のよい(良く言えぱの話だが)アベックがいて、彼らが20人のノゾキ趣味者たちに囲まれていた、という驚くべき事実を明らかにした私服警官の話を、新聞の論説で読んだ。私は面白かったが、論説者はそうは思わず、苦々しく“変質者”について語っていた。もしこれが変質的であるなら、全ての人間が少なくとも潜在的な変質者であると私は思い、4人のとり残された哀れなノゾキ者の苦境にほほえみかけた、私の最初の反応を失わずに、この話から何かをつくろうと決心したのだ。
私は彼らを公園に連れて行き、彼らの趣味を観察して、自分が発見したことに魅惑されてしまったのである。(彼らのテクニツクの多くは、映画に出てくるし、いちはんスゴイ手口は誇張だと批判されようが、私は実際に彼らがそうやるのを見ているのだ)。だが、もし私が九州から来た若い学生のアベ・サンペイに会わなかったなら、この映画はつくられなかったことだろう。彼はノゾキ者というよりは投者というべきで、彼を見た瞬間、私は彼にタイトルの『野郎』を演じてもらおうと思った。彼は異常なくらいに人好きがして、気性が合った。こういった特性こそ私がノゾキ者に望んでいたものであった。というのも、私は変質者が時としてものすごく良い人たちであることを知っていたからである。
撮影は手がかかった。私がこれまでに経験したうちで最多数のキャストになったし、夏の夕暮だけがもつあの美しさが欲しかったので全て夕暮れどきに写したからである。おまけに、公園の管理人が、公衆便所で撮影しているカメラマンたちに非常に疑い深かったものだ。もしこの映画が少し長すぎるとすれば、それはたぶん、私自身、この撮影があまりにも楽しかったので、仲々この映画を終りにすることができなかった、ということだろう。」(D・リチー )

五つの哲学的童話 Five Philosophical Fables

監督、脚本、編集=ドナルド・リチー/撮影=ヤマグチ・マコト/出演=日本マイム研究会/1967年/16ミリ/47分
「この映画は、日本マイム研究会が寸劇を演じているときに得たアイデアと、私が現代の寓話について持っていたアイデアを結びつけてできあがったものである。第一話は、人々が危険に対して自らを守ろうとして、その守りこそが真の危険であることを発見するというアレゴリーである。第二話と第四話は結婚の話である。ひとつは、誤まって自分が妻を製造できると考えた男の話。もうひとつは、逆立ちしかできない男が、それでも女の子を見つける話。第三話は、日本の子供が窒息しそうなくらい親の世話をうけているという私の印象をもとにしたもので、ここでは、家族が自分たちのうちのひとりを食べてしまう。私自身の幼年期についての気持ちも多分に含まれている。最後の第五話は、これまでとは逆の過程で作られている。この話はラスト・シーンにみられるイメージから出発しており、ある男が裸になってうれしそうにどこかの山に向かって走っていくという、私の見た夢がもとになっている。それらがどのように使われているかわからないまま、私は全部のシーンを撮りまくった。それから、パーティーでたったひとり自分だけが裸でいる、という誰もが見たことがあるに違いない夢に似たシーンをはじめに持ってきて、これらのシーンをつないでいったのである。」(D・リチー )

<黒いユーモアの極致、無法きわまるファルス>
                  三島由紀夫
食事というものの日常性、礼儀作法、外聞のわるくないたのしみ、公明正大な原始性……それと、人肉嗜食の残酷な描写との、おそるべきコントラストは、この映画を見る観客から、終始ヒステリックな嘲笑を引き出すだろう。パントマイムの俳優たちはみごとに演出され、みごとに演技してゐる。その自然さ、その礼儀正しさ、その譲り合ひ、すべての人間的なものが、人間的に表現されればされるほど、極端な残酷さの表現になる。
人間主義の偽りの容赦ない告発。われわれの文化は、ひよっとすると、本質的に、人肉嗜食の上に成立ってゐるのかもしれないのである。
  ─『五つの哲学的童話』第三話「ピクニック」について─

シベール Cybele

監督、編集=ドナルド・リチー/脚本=加藤好弘/出演=ゼロ次元/1968年/16ミリ/20分
「私は長いこと“儀式”をとりあげてみたいと思っていた。この作品は、宗教と現代についての厳粛な映画である。恋人と結ばれた後、その恋人を殺してしまう古代の女神シベールの物語がその下敷となっている。ここに描かれる儀式は、その物語の解釈であり、後日譚である。この儀式に、ある枠をはめてみたいと私は思い、音楽として18世紀の作曲家ラモーの荘重なバレエ曲を使用した。歴史上最も文化的に洗練されていた18世紀の視点を通して、野蛮な古代の儀式を、野蛮な現代に示してみたかったのである。そこで音楽は映像と同等に重要なものとなっている。両者が緒びつくことで、私の表わしたかったアイロニーがつくり出されている。この映画は、我々誰しもが、その内面にシベールを抱えているという暗い一面を明らかにする。暗黒の女神の儀式であり、全ての人々の共通する運命の儀式である。」(D・リチー )

A Doll 1968年/16ミリ/10分

Khajuraho 1968年/16ミリ/13分

映画監督:黒澤明 Akira Kurosawa : Film Director 1975年/35ミリ/69分


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