【物語】
「ジュネ」のオーナー権田(土屋嘉男)とエディ(ピーター)のめくるめく情事で映画は始まる。
二人の密会を権田の愛人でもある「ジュネ」のママ、レダ(小笠原修)が見ていた。ベッドの中で権田はエディにささやいた。「もう少しの辛抱だ。レダを必ず辞めさせる。そうしたらお前は『ジュネ』のママじゃないか」。幼いエディを残し家を出ていった父。母の手一つで育てられたエディは孤独な少年だった。そんなある日、母の情事を目撃したエディは母を発作的に殺してしまう。ベトナム戦争帰りの麻薬の売人トニーと一夜を共にするエディ。フーテンのゲバラ(内山豊三郎)たちとのマリファナと乱交パーティの世界に引き寄せられていくエディ。
1960年代末期の新宿、六本木、原宿を舞台に、ピーターとゲイボーイたちのコミカルなドラマは血の惨劇へと変わる。

 

「元祖ビジュアル系」ピーター、
衝撃のデビュー

六本木の売れっ子ゴーゴー・ダンサーだった16歳の美少年ピーターの突然のスクリーン・デビューは、一つの事件だった。家出して上京、ゲイバーで売れっ子になるといった、映画のストーリーと実際の経歴とが虚実入り交じり、無名の少年を一躍「時代の神話的スター」の位置にのし上げた。
金髪に化粧、ファッショナブルな衣裳を身にまとって週刊誌のグラビアに登場するピーターは、今でいうビジュアル系の元祖といっていいだろう。妖艶なゲイボーイ姿と初々しい美少年ぶりが見られるのも、この映画の大きな魅力だ。時代の寵児ピーターは「夜と朝のあいだに」で歌手としてもデビュー、また黒澤明監督の映画をはじめ俳優池畑慎之介としても活躍しているのは周知の通り。

 

異色の登場人物たちによるウソかマコトか?

映画に登場するゲイボーイたちは、俳優ではなくすべて素人のゲイボーイが起用された。映画監督の篠田正浩、藤田敏八、デザイナーの粟津潔、演出家の蜷川幸雄らも本人の役で特別出演。故淀川長治も「こわかったですね〜。何ということでしょう、こののろわれた人間の運命。では、さよなら、さよなら〜。」と登場し、笑いをとっている。新宿街頭でのハプニング、監督によるゲイボーイ・インタビューなど、どこまでが現実で、どこからがフィクションなのか、観客を惑わせる。撮影時にはパトカーまで駆けつけたゲリラ撮影だったという。

 

母を殺して父と寝た、
現代のオイディプス神話。

パゾリーニの『アポロンの地獄』でも描かれたオイディプスの悲劇は、この映画では母を殺した少年がそれと知らずに父と交わるというふうに、舞台を現代に移し関係は反対になる。「倒錯」した世界を舞台にした「倒錯した近親相姦」の世界。しかも「現代のオイディプス」は一国の王ならぬゲイバーの「女王」だ。冒頭にボードレール『悪の華』の一節「われは傷口にして刃、いけにえにして刑吏」という字幕が掲げられるように、ことさらに戯画化されて描かれたこの映画は、悲劇の不可能な時代に突きつけた監督松本俊夫の悪意の刃なのかもしれない。

 


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