収 録 作 品


階段 Steps

監督・脚本:ズビグ・リプチンスキー
制作:KTCA-TV、ズビグ・ヴィジョン、チャンネル4/アメリカ、イギリス/1987年/25分07秒/ビデオ/カラー/英語版(日本語リスト添付)
1987年リオ国際映画祭(ブラジル)最優秀ビデオ・プログラム受賞

◎あるテレビスタジオで、かの有名な『戦艦ポチョムキン』のオデッサの階段のシーンを新しいバーションで撮影するための準備が整っている。コンピュータがこの実験に参加するためにサンプルになるアメリカ人を選びだし、彼らは政府の代理人によって統率されている。この人々の集団(カラー)は、自分たちが映画の中の人物(モノクロ)と共演していることに気づく。映画の中の人物たちはコサック兵にブーツでふみつけにされ、階段を逃げ降りる人々によって押し倒される。この出来事の「生きた」目撃者であるアメリカ人観光客は、罪のない市民を殺す兵士を前にしても、落ち着き払って写真を撮ったり、ハンバーガーを食べたりし続ける。この虐殺から唯一逃れた乳母車の赤ん坊の笑顔(カラー)の上にエンド・クレジットが流れる。

◎「『階段』では、全てがライブで、ポスト・プロダクションは一切なかった。考慮しなくてはいけない技術上の問題が無数にあり、撮影に13日間かかった。多くの要素がこの作品の進行を決定づけたが、私にとって最も重要だったのは、時間の実験である。テクノロジーは、ものごとを描写し、感情や出来事への動きを作り出す。それらに時間を与えるのである。私は現在をとらえようとしていたが、その現在は未来に存在していた。それゆえ、私はある意味ではエイゼンシュタインの映像に1925年から入っていくことができた。私は時間をさかのぼって旅をしていたと言えるし、過去とコラボレーションしていたとも言える。私は一見して分かるような素材を必要としていたが、これにはエイゼンシュタインは完璧だった。「オデッサの階段」は類いまれなるシーンであり、短くて、象徴的だ。人々が走っていたり、兵士が銃を撃っていたり、幾何学的なシーンでもある。そこにはドラマがあり、始まりと終わりがある。『階段』はテクノロジーがいかに変化したかを示しているし、またテクノロジーそのものについての映画でもある。私は7台のフィルム・カメラと4台のビデオ・カメラと限りない数のケーブルやワイヤーを持っていた。最も興味深かったのは、撮影中にこれらのイメージを見ることだった。それゆえ、映像は現在に結びついたにもかかわらず、これらのテクノロジーを使っていた私は過去の一部だった。」ズビグ・リプチンスキー

四次元 The Fourth Dimention
監督:ズビグ・リプチンスキー
制作:カナル・プリュス、ザ・キッチン、ズビグ・ヴィジョン、他/アメリカ、イタリア、フランス/1988年/27分03秒/35mm/カラー
◎『四次元』はあるカップル(アダムとイブ)と様々な物体を同時に、時間、空間、そして動きの中で見せる。

◎「この作品のアイディアは『ニュー・ブック』('75)のときから持っていたが、これ以前にはそれを映像化する機会がなかった。俳優たちをセットに置いていろいろな動きをさせ、プリントするときにそれを480本のラインの上に映像化した。そして例えば一コマごとに一ラインずつ動きを遅らせて映像を作り替えていった。つまり、最後のラインは上の方に比べて480枚の画像分遅い。そのため人物の頭が一回転しても彼の足はもとの位置と同じところにある、ということになる。」ズビグ・リプチンスキー

◎二人の人物がゆっくりと動くにつれ、まるで2匹のヘビのように奇妙なねじ曲がった形になる。実際には、彼らは立ち止まっていて、彼らの台座が動くことで水平に、お互いの周りに来るように位置が変えられているのである。もともとの映像は一つのコマを構成するラインの一本一本を400回以上も「読み直し」させるデジタル・システムによって成り立っている。すなわち、各コマ、各ラインの内側に人物の動きに対応して遅れが生じており、そのうちの一つが左から右に垂直に動いているとすれば、そこには連続的な遅れが生じる。なぜなら映像の動きも同じ方向に上から順に動いていくからである。このような映像装置で作られたビデオ映像の時空間は、実際には画面の中の一本一本のラインを認識する過程を繰り返すことにより生じる遅れのコンセプトと時間的広がりを利用している。(アレッサンドロ・アマドゥッチ/2000年)

◎奇妙なことかもしれないが、私はこの作品を『四次元』よりむしろ『デッド・タイムス(死んだ時間)』と呼びたい。芸術の時代が終焉を迎えていた。これは葬列のためのモニュメントだ。最後に石碑が現われるのは偶然ではない。それは世界最初の(巨石時代の)アート作品を象徴している。この作品は、「合成された映像」について語ることの誤りを証明している。我々が語るべきなのは「映像の合成」についてなのだ。ビデオが生み出されて以来、私たちは映像の合成の時代に突入した。全ての映像(写真、絵画、グラフィック)は過去のものであり、全ては粉砕機に入れられて合成されている。最終的には、この蓄積が私たちに残すのは怒りの感情だけだ。アートの死に対する怒りである。ちょうど『階段』の最後のように。しかし、これは意図的なものではなかったと感じている。むしろ、それはリプチンスキーの経験した移民としての生活の結果生じたのである。(ポール・ヴィリリオ/1989年)



●全2作品/全53分/DVD/2,520円(税込)/DAD05016 ●販売:ダゲレオ出版/イメージフォーラム
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