シノプシス

2003年5月のある日、渋谷駅前の巨大な三つの街頭スクリーンに突如、反時代的な異形の人々のまがまがしい動きが写し出されました。30年前の京都での土方巽らの舞踏公演の映像です。
1973年6月、超満員の観衆の前で、舞踏の創始者である土方巽は、生涯に一度、東京以外の地で踊りました。芦川羊子、小林嵯峨、玉野幸市、和栗由紀夫ほかの今も一線で活躍する弟子たちを擁した土方巽は、自ら「少女」を踊りました。尾底骨で重心を取り両手足を宙に泳がせて冒頭から挑発的なまなざし。
女たちを中心とした場面の最初の演目「草摘みの少女」。「戦争は田の草取りよりも楽だ…」飯島耕一の詩「八月の詩」を読む若き日の土方巽の肉声に、男たちが立ちすくみ、指でささやきあい、凧の糸であやつられる「盆の精霊」。公演名を「夏の嵐」と名づけた由来でしょう。
土方は二つ目の踊りに癩(ハンセン病)を出しました。ひとりであることの愉悦、孤絶感、憤怒……孤立者のあらゆる感情が凝縮した時間です。
全12景、土方舞踏世界の集大成。土方巽はこの年を最後に、舞踏手としての自らに終止符を打ったのです。


秋田名産の海草ギバサ

最後に映し出されるのは土方巽の生まれ故郷・秋田の映像。天上に向かって跳躍する欧米のダンスに対して、土方巽の舞踏が地を踏み床をはう独自の身振りを生み出した舞踏の原風景でもあります。