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声の家出:ナレーションの新しいデザイン
2009年 1/31(土)2/1(日)7(土)8(日)

    タイムテーブル

    日付 2:00 4:00 7:30
    1/31 - -
    2/1 -
    2/7 - -
    2/8 -

    受付

  • 当日700円 会員500円 
  • 山椒魚

    山椒魚
  • 象の話

    象の話
  • TEXTISM

    TEXTISM
  • 眺めのいい部屋 境界線あるいは皮膚に関する物語

    眺めのいい部屋 境界線あるいは皮膚に関する物語
  • グージョネットと風車小屋の魔女

    Fグージョネットと風車小屋の魔女

 このプログラムは、イメージフォーラム・フェスティバル出品作家を中心とした若手映像作家によるあたらしいナラティヴ(物語)に挑戦した作品の特集です。実写やアニメーションに限らず、絵と音の分離による話法の実験は、アラン・レネやクリス・マルケルなどの多くの映画監督や、ホリス・フランプトンや近年のフィオナ・タンなど映像作家により試みられてきました。そのすそ野はデジタル編集によって加速し、日本の映像作家にもあたらしい試みをする作家が登場しています。
 倉重哲二は動きの抑えたアニメーション、平林勇はCGを交えた固定ショットの実写に効果的なナレーションを重ね、少ない情報量の画面に観客の想像力を補完させる作用を与えます。
 伊東宣明は絵と言葉を意図的にずらすことで、2つの物語が効果的に作用するドラマを構築、福井琢也は2つの物語を2つの声で再現。同時に聞こえる物語が交錯するときにファンタジーが生まれます。
 内村茂太は、まるで弁士の様に自ら撮影した日記的な8ミリの映像に彼の話芸をふんだんに展開します。(澤隆志)

イメージフォーラム・フェスティバル2009 ジャパン・トゥモロウ(一般公募部門)作品募集中です。詳細は、>>こちら

プログラム

僕のカッパドキア 内村茂太/8ミリ/24分/2008
山椒魚 伊東宣明/ビデオ/5分/2004
象の話 伊東宣明/ビデオ/17分/2004
TEXTISM 平林勇/ビデオ/11分/2003
眺めのいい部屋 境界線あるいは皮膚に関する物語
倉重哲二/ビデオ/15分/2008
グージョネットと風車小屋の魔女
福井琢也/ビデオ/23分/2006

僕のカッパドキア

先日、ある小さな公共施設での自分の映画の上映が終わり電車で帰ろうとしたら、券売機の前でその公共施設の職員のおばさんとばったり会った。 さっき挨拶をして別れた人とまたすぐ会ってしまう気まずさはさておき、家が同じ方向だったので途中まで同じ電車で帰った。 電車の中でおばさんから「ああいうのってお金になるの?」みたいなことを聞かれたので「一銭にもなりませんよ」と答えたら別れ際に「それじゃ頑張ってね。これ良かったら食べて」と小さな紙袋をくれた。 家に帰ってその紙袋を開けてみると、中には塩飴と黄金糖がびっしり入っていた。 そんな感じの作品です。

山椒魚

数千の静止画の組み合わせによる、反復・カットアップの多用により作られた映像作品。 クリス・マルケル「ラ・ジュテ」や押井守「攻殻機動隊」などの多くの映画や、井伏 鱒二「山椒魚」等の小説のイメージの流用からなりたち、何かを語っているが何も語っていない、どこかに行こうとしているが、何処へも行けない物語。

象の話

物でも生き物でもない剥製の静止画を背景に、人の言葉を話す象と少女が織りなす「おとぎ話」が語られる。最後に挿入される壮大な「象の放尿」は、紡がれた「おとぎ話」を洗い流し、現実を強く意識する事を目的している。
この2つは対をなす作品である。何処にも行けない事を目的とし現実からの横滑りを図った『山椒魚』に対し、徹底的な現実を露呈する『象の話』はその現実への回収を目的とした。

TEXTISM

「桜の木の下には死体が…」梶井基次郎の引用と二股の巨木の映像で始まる文学的な冒頭は、突然転調して冷徹なユーモアに満ちた展開となる。どこか飄々とした雰囲気の3つの物語が、テクストと合成音声て綴られる。効果的に映像がレイアウトされ、作者は「メメント・モリ」(死を想え)より”字を想え”と唱える
(イメージフォーラム・フェスティバル2004 一般公募部門大賞受賞)

眺めのいい部屋 境界線あるいは皮膚に関する物語

仕事部屋に引き篭もる剥製師を狂言回しに足下の住人の生活を描 く。何事もなく繰り返される窓下の日常が、ある日二人の異邦人が住み着いた事により少しずつ不協していく。 淡い色調で描かれるアニメーション作品。(イメージフォーラム・フェスティバル2008 「ニューフィルム・ジャパン」<日本招待部門>上映)

グージョネットと風車小屋の魔女

テレビの2カ国語放送の様に、2人の女性によるドラマ内の台詞と、ラジオ朗読風の説話語りが同時に聞こえる。双方の”声”はやがて接し、また離れ、映画全体のストーリーを牽引していく。彼方と此方、語られるものと映されるもの。互いの世界の喪失感が声として現れ、生死の壁や映画の約束事を超える一瞬の魔法をかける。
(イメージフォーラム・フェスティバル2007 一般公募部門入選)