■Joan Baez ジョーン・バエズ(ミュージシャン、ソングライター、アクティヴィスト)
1941年1月9日、ニューヨーク州生まれ。
60年代初頭、同い年のディランと並んでフォークの新時代を築く。「天使の歌声」と評された、透き通るようなソプラノが、多くの人を魅了した。「歌手であるよりもまず人間。次に平和主義者です」という彼女の発言からも分かるように、反戦・平和主義者としての彼女の真っ直ぐな姿勢は、後に、ロックに傾倒してステージにも立たなくなるディランの態度を批判するようにもなる。ディランは『自伝』の中で、彼女は普通の人間とは思えず恐くて会いたくなかったが、「やがて会うことになるのはわかっていた」と記している。同じ魂を持つ者としての共鳴を、感じていたのだった。
本作収録曲:「The Virgin Mary Had One Son」「All My Trials」「神が味方/With God On Our Side」「Percy's Song」「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード/Love Is Just A Four Letter Word」(以上ソロ)
「神が味方/With God On Our Side」「船が入ってくるとき/When The Ship Comes In」「悲しきベイブ/It Ain't Me, Babe」(以上ディランと)「風に吹かれて/Blowin' In The Wind」(ディラン、PPM、ピート・シーガーほかと)

■Allen Ginsberg アレン・ギンズバーグ(ビート詩人、パフォーマー)
1926年6月3日、ニュージャージー州生まれ 1997年4月5日没
40年代半ば、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズとニューヨークで出会い、その後、55年にサンフランシスコで朗読した「吠える」のパフォーマンスで一躍名を馳せ、ビート・ゼネレーションの中核をなす。ギンズバーグが初めてディランを聞いたのは61年にインドに渡ってからの帰国後。「「激しい雨」を聞いて私はずぶぬれになった」と語っている。ディランの監督作『レナルド&クララ』にも出演。
本作収録:「America」(朗読)

■Al Cooper アル・クーパー(ミュージシャン、プロデューサー)
1944年2月5日、ニューヨーク生まれ
ディランとの関係は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」のオルガンのフレーズのエピソードであまりに有名。プロデューサーのトム・ウィルソンの知人であり、セッションを見学に来ていただけだった彼は、しかし何とか認められようと、オルガンを弾いた。ウィルソンはクーパーがオルガン奏者ではないことを知っていたためその音を消そうとしたのだが、ディランが気に入って音を上げさせた。「ライク・ア・ローリング・ストーン」のあのオルガンのフレーズは、認められたいと願うクーパーのその場の必死の思いつきによって生まれたのである。以後、『追憶のハイウェイ’61』だけではなく、その後に続く、『ブロンド・オン・ブロンド』、『新しい夜明け』などにも参加。自身の活動としては、ソロの他、60年代末のブラス・ロックの道を開いたブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、ディランのセッションにも参加していたマイク・ブルームフィールドとの活動などがある。また、ゾンビーズのアメリカへの紹介者、レーナードスキナードのプロデューサーとしても知られる。本作のサウンドトラック・アルバムには、ライナーノーツも寄稿している。

■Dave Van Ronk デイヴ・ヴァン・ロンク(ミュージシャン)
1936年6月30日、ニューヨーク生まれ 2002年2月10日没
ニューヨークに出たばかりの若き日のディランに最も影響を与えた人の一人。伝統的なフォークやブルースの力強く、成熟した演奏やさまざまな楽曲への知識は、飛び抜けていた。「ヴァン・ロンクは叫ぶこともささやくこともできた。ブルースをバラッドに、バラッドをブルースに変えることもできた。彼は当時のグリニッチヴィレッジの中心であり、王者として君臨していた」(『自伝』)。彼がディランをステージに誘ってくれたことで、ディランのニューヨークでのキャリアがスタートする。本作に、彼の演奏で収録されている「He Was A Friend Of Mine」は、ディランもファースト・アルバム制作時に録音したが結局収録されなかった曲。ディランのものはトラディショナルな南部の囚人たちの歌だが、ヴァン・ロンクのものは、それのヴァン・ロンク・ヴァージョン。ただし、ヴァン・ロンクのアルバムには、作者にディランの名前がクレジットされている。さらにそれをJFK についての歌に変えたバーズのロジャー・マッギンのヴァージョンも有名。
本作収録曲:「ヒー・ワズ・ア・フレンド・オブ・マイン/He Was A Friend Of Mine」

■Woody Guthrie ウディ・ガスリー(ミュージシャン、ソングライター)
1912年7月14日、オクラホマ州生まれ 1967年10月3日没
ディランだけでなく、世界中のフォーク・シンガーたちに影響を与えた偉大なる先達。家族離散と貧困、そして放浪生活の中で音楽を始め、数々の名曲を生み出す。50年代後半から入退院を繰り返し、入院中の彼をディランが見舞ったのが61年。それ以降、ディランの見舞いは続き、そのたびにガスリーの曲の数々を歌って聞かせたというエピソードはあまりに有名。ディランは、ガスリーの歌について、「ガスリーの独特の作風が、彼の口から出てくるものすべてが、わたしを圧倒した。まるでレコードプレイヤーそのものがわたしをつかまえて投げとばしたように思えた」と記している(『自伝』)。
本作収録曲:「John Henry」「Jesus Christ」「Talking Columbia and Pastures of Plenty」「1913 Massacre」
ウディ・ガスリー以外の演奏による収録曲:「Ramblin’ Round」「This Land Is Your Land」(ディラン)「Dust Bowl Refrgee」(シスコ・ヒューストン)

■Mavis Staples メイヴィス・ステイプルズ(ミュージシャン)
1940年、イリノイ州生まれ
父親ポップス・ステイプルズに率いられ、3人の子供たちによるステイプル・シンガーズが教会デビューを果たしたのは51年。以来、ゴスペル界で活動を続けるが、60年代末からソウル・グループへと転身。70年代には、「アイル・テイク・ユー・ゼア」「リスペクト・ユアライフ」「レッツ・ドゥ・イット・アゲイン」といったヒットを放つ。ザ・バンドの解散ライヴを収めた『ラスト・ワルツ』にも登場して、ザ・バンドと共に歌う「ザ・ウェイト」の感動的なシーンは、多くの人の記憶に残る。メイヴィスは、ソロとして69年にアルバム・デビュー。ディランのゴスペル・ソングをゴスペル・シンガーたちが歌ったアルバム『Gotta Serve Somebody』では、「Gonna Change My Way of Thinking」(『スロー・トレイン・カミング』に収録)を、ディランとデュエットしている。ふたりが出会ったのは62年、ディランがメイヴィスの父ポップスを訪ねて、メイヴィスを妻にしたいと要望したというエピソードもある。

■マーティン・スコセッシ
1942年ニューヨーク市クィーンズのフラッシング生まれ。聖職者を目指すも挫折し、ニューヨーク大学で映画を学ぶ。1972年、ロジャー・コーマンの依頼で監督した『明日に処刑を』がヒット。続く『ミーン・ストリート』(72)や『タクシードライバー』(76) でニューヨークを舞台とした独自のスタイルを確立し、反響を呼ぶ。『レイジング・ブル』(80)、『グッドフェローズ』(90)、『カジノ』(95)、『ギャング・ オブ・ニューヨーク』(01)、『アビエーター』(05)などの代表作がある。また、音楽を題材とした作品も数多く手がけ、『ウッド・ストック/愛と平和と音楽の三日間』(70)の編集を担当したほか、ディランのバックバンドだったザ・バンドの解散コンサートを追ったドキュメンタリー『ラスト・ワルツ』(78)を監督している。2003年にはブルース生誕100周年を記念した「ブルース・ムービー・プロジェクト」の製作総指揮をとり、その中の『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』の監督を手がけた。