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1985年6月 テロは悪い奴がするもの:ロナルド・レーガンが、テレビをジャックし、シーア派をプライムタイムに出演させる。 ベイルート・アルジェ間で、シーア派がTWA847便を乗っ取る。これをメディア・スペクタクル化することで、レーガン政権の中米での秘密活動から人々の目をそらした。中東でアメリカ人の人質が一人殺されたことによって、中米での1万人の殺害が隠蔽された。 政府がテロリストを演じる:ジャンボジェット機が次々落下。 1983年9月1日 ジェームス・ボンド:航空便名007 「悪の帝国」の逆襲! ソ連戦闘機、ソ連軍事区域に迷いこんできた韓国民間旅客機にミサイルを発射。269人死亡。レーガン政権協力によるスマートなスパイ任務? 航空便名は007! 1986年2月4日 イスラエルの戦闘機がパレスチナ人のリーダーを捕まえようと、リビア上空に侵入した。国連安全保証理事会が、イスラエルの領空侵犯に対して非難を採択しようとするが、アメリカが拒否権を発動した。 1986年4月4日 ロンドン、ヒースロー空港:逮捕劇! ネザール・ヒンダウィが何も知らない(妊娠中の)ガールフレンドをイスラエル行きの便に搭乗させた。彼女のバッグは飛行機を爆破するのに充分な量のプラスチック爆弾と接続されていた。中にはポケット計算機に取り付けられた起爆剤が入っていた。幸運にも、彼女は逮捕された。二重スパイの噂がそこで流れた。公式見解では、爆弾はシリア人情報官たちが作成し、ヒンダウィのシリア人仲介者が彼に渡したとされている。しかしながら、フランスのジャック・シラク首相は、西ドイツ政府の見方では、この爆弾未遂事件とイスラエルの秘密警察が関連しており、シリアを混乱させ、アサド政権の動揺を狙った挑発行為だったとしていると伝えた(1986年11月11日、ル・モンド紙)。ヒースローの爆弾は決して爆発が目的だったわけではなく、爆弾がイスラエル人警備員によって発見されたということは、全くの茶番だった。 1988年7月3日 ペルシャ湾、識別誤認No.2 米軍艦ヴィンセンズ、イラン民間航空機を敵F-14戦闘機と識別誤認、ハッジからメッカに向かうイスラム教徒290人を載せた航空機を撃墜した。アメリカは「国際法にのっとった正当防衛」として責任はないと主張した。法的な疑惑が残った:はたして当時アメリカは公式に戦争状態にあったのか? ともかく、イラン側はこれを戦争の行為と主張した。 1988年12月21日 スーツケースこんがり爆弾 米軍に撃墜されたイランのエアバスの報復のため、イラン内務省は、シリア在住のアーマド・ジャブリル(PFLP-GC)にアメリカ航空機爆破を依頼する。任務遂行費:1000万ドル。結果:ロッカービー上空でスーツケース爆弾がパンナム航空機を爆破、270名死亡。パンナム航空は、CIAを非難。CIAは、リビヤを非難。この事件に対して、世界中のテロリストたちが犯行声明を出した。 |
1996年7月18日 TWA800便、Xファイル化される。 衛星画像によれば、TWA800便の爆発は、ミサイルが原因として考えられる。ある情報源は、この事件をUFOによるケースとしている。アメリカ政府はこの事件に関してノーコメント。 1994年8月 盛岡、ハイジャック観光 列車乗客、お金を払ってハイジャックされ、人質となる:600人の観光客が、テロの標的として人質になるスリルを味わうために、特急列車に乗り込んだ。客たちはその体験ツアーに400ドルを支払った。ほぼ女性で占められた観光客たちは、JRと、ある劇団が企画した新幹線ハイジャック・ショーに参加したのだ。良くできたミステリー作品の例に漏れず、乗客たちと企画者たちはいろいろな形で企画に参加できた。このツアーの脚本を作ったプロデューサーと作家は、自分の作品が実際に目で見られる良い企画だ、というコメントを残している。鉄道会社も乗車チケットが良く売れ、ホクホクということだ。 1990年以降 チェチェンより愛をこめて 新しい国家、新しいハイジャック。 東側の壁が崩れ、ハイジャックの出番がやって来た。 1996年11月23日 コモロ諸島、モロニにて、新婚旅行カップル、ハイジャックの惨劇を偶然撮影! その後、撮影者としてラリー・キング・ショーに出演。ビデオカメラが視聴者をヒーローに変えた。 2001年9月11日 本物のインディペンデンス・デイ アメリカの政治的な無意識が、自分自身を蝕みに帰ってきたとき、原因が大きな影響を伴って爆発した。抑圧された世界の暗い底部が、アメリカに逆襲し、空飛ぶ物体がどこからともなくあらわれ、ハリウッドのパニック映画のようにツイン・タワーを崩壊させた。 2001年10月5日 国家がハリウッドの協力を得る。 アメリカ陸軍の命を受け、政府の情報部が南カリフォルニア大学クリエイティブ・テクノロジー学院にてハリウッドの映画監督や脚本家と会合。任務:ハリウッド人に考えうるテロのシナリオを書いてもらうこと。 (訳:山下宏洋) 初出:1997年10月DIetsche Warande & Belfortに一部発表。拡大ヴァージョン初出:INFLIGHT(2000) |
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(C) ヨハン・グリモンプレ 2003 このテキストはヨハン・グリモンプレによる『ダイアル ヒ・ス・ト・リ・ー』DVD版のアートブックに収録されているテキストです。 無断の転用、引用はお断りいたします。 |
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