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74年度のシネマテーク
 私が昨年のシネマテークで、最も強い刺激を受けたのは、瀬尾と共に中島に対してである。(中略)『諸国』から『セスナ』にかけての中島にも、目を見張る成長を感じないわけにはゆかない。とくに、『セスナ』はシネマテークではじめて発表されたものだが、正直なところ私はひどく衝撃を受け、めったに味わえないレベルで興奮した。それは7コマを一単位とする三種類の異なる画面が、ちょうどつづれ織りのように交互により合わされ、しかも各画面は少しづつ位相をずらしながら、徐々に同一運動のリピートと、けいれん的なスリップ効果をともないつつ次の画面に転じてゆくという構造をもっており、かつ、その被写体がたえず写真の複写からその写真の外の実写にまではみだしてゆくとか、各単位としての7コマにすべてアンダーからオーバーへの露出変化が加えられ、その結果映写の流れに規則的なフリッカー効果が生じるなど、きわめて複雑で緻密な作られかたをした作品なのだ。そう言っても言葉ではわかりにくいと思うが、この中島の『セスナ』は、コンセプトの卓抜さと独創性、その魅惑的なイメージ、20分にわたるムラのない密度の高さにおいて、私はなにも昨年度のシネマテークとかぎらず、これまで日本でつくられたあらゆる個人映画のなかでも、最も高いレベルに達した作品の一つとなっていることを疑うことができない.
(松本俊夫著『幻視の美学』/ フィルムアート社刊より)

者コメント
この1年間、私はドキュメンタリー映画のようなものを撮ろうと考えていた。ドキュメンタリーは、普通自分から仕掛けたり映像技術を開発しながら作り上げるものではない。何かの要素に着目することだ。街を撮る写真カメラマンは、人に向け、ビルを見上げてシャッターを押すが、私はひたすらポケットに手を突っ込んで首をうなだれ路上に捨てられているものを漁りまくった。とんかつ屋の割引スタンプ・カード、CDジャケットの帯、裏面にメモ書きがしてあるピンク・チラシ、猫の足跡がくっきりと見える雑誌の切れ端、そして正真証明の屑。まったくバカげたことだ。それを家に持ち帰って、じっと見つめる空虚な時間を想像できるだろうか。
それでも、古代人の意味不明な文字を解読するように、近くで、時に遠い距離から眺めていって、最終的に5つのものを選択した。それらがそれぞれ捨てられる24時間前のことに想像を巡らし、5つのパートから成る映画を作ろうと思った。つまりこれは、偶然の掛け合わせでできた映画である。人と人の出会いが偶然であるように、それからどの様な方向に向かっていくかを現在進行形風にとらえてみたつもりである。
もう一つの、8ミリ映画を中心にした7本がセットになったプログラムは、かつて14年間に各々単独に作った作品群で、その意味ではこれも偶然の集合体といえるかもしれない。あえて共通点をあげるとすれば、8ミリの粗い粒子に神秘的なイリュージョンを感じていた頃のもので、微細を見ると絶えず粒子が飛び交う抽象映像の世界に、遠目に眺めるとなんらかしらの像が見えてくる2通りの見方ができるのではないかと思っている。それと多分、映像で音楽的な「質」を狙っていた。音楽に4分の5拍子や6分の5拍子がないように、いつしか基本となる数字が決められていった。基本的に、2つの要素(『諸国』『捜査』)、3つの要素(『南岸沿』『セスナ』)、7つの要素(『7つのサイン』)と分類できる。かくしてでき上がったこの集合体は、映像作品集というよりも1枚のCDを「見る」感覚であって欲しいと思うのである。(中島崇)
南岸沿
捜査
3:00
4:30
5:00
6:00
6:30
1/27
B
A
2/3
A
B※
A
※上映終了後作者スピーチあり。チケットの半券で参加できます。
受付(各回入替制)
当日900円/会員600円/2回券1500円

<上映作品>

プログラムA
FIVE DAYS ビデオ・16ミリ/75分/2000

プログラムB
南岸沿 8ミリ/2分30秒/1971
サンセット 8ミリ/9分/1972
諸国 16ミリ/2分30秒/1974
セスナ 8ミリ/19分/1974
UP-STAIRS 8ミリ/9分/1979
捜査 8ミリ/2分30秒/1985
7つのサイン 8ミリ/17分/1979