第二部

(7)
ママ!ママは待っていた。25年間もママは待ち続けていた。それに叔父。私たち兄弟に、西へ行け、と教えた叔父。「西へ行くのだ、子供たち、そして世界を見ておいで」。その言葉で、私たちは西へ行った。そしてまだ西への旅を続けている。

(8)
木いちご。今も昔も木いちご。ウオゴス。木いちご。

(9)
叔父の教会を見にいかなくちゃ。叔父は改革派のプロテスタント牧師で、とても賢い人だ。シュペングラーの友達で、彼の本は全部持っていた。だから、私たちに西へ行け、と教えたのだろう…私が何年もの間、勉強部屋に使っていた屋根裏のある家。ここには窓の外にロープがつるしてあった。ドイツ兵がやって来て、ドアを乱暴に叩いたら、そのロープで逃げ出すためだ。

(10)
私たちはなじみの場所に、近づいていった。すると目の前に森があらわれた。こんな場所に森はなかったはずだ。私たちがここを出ていった時には、こんな森はなかった。ああそうだ。ここいら辺に私たちは、小さな笛木を植えたことがある。その小さな苗木が、今ではこんなに大きな、みごとな森に成長したのだ。

(11)
私たちの家、私たちの家は、ちゃんとそこにあった。そして猫が私たちを迎えてくれた。我が家へとたどりついた時、人がまっさきにすることとは、何だろう。そう、私たちはまっすぐに井戸にむかい、水を汲んで飲んだ。他に比べるものとてないほどに、おいしい水。セミニシュケイの冷たい水。どんなワインだってかなわない。

(12)
ママは物忘れがひどくなったとこぼす。スプーンがみつからないのだ。十本もあったのに、今朝はそれが一本もみつからないのだという。「自分のスプーンがみつからなくなったら、年をとった証拠さ」とママは言う。

(13)
兄のペトラス到着。私たちは、あの森について話す。ずいぶん大きくなったものだねって。

(14)
畑へでかけて、最近の農業がどうなっているか、視察することにした。ペトラスが先にたって案内をする。彼はとても興奮していて、私たちになにもかもを見せたがった。そこに現れたコンバイン上に高々とうちまたがったジョナス・ルプレナス。私の同級生だ。私たちはその昔は、畑で一緒に牛や羊の世話をしたものだ。その彼が今や堂々として、コンバイン上に座っている。機械はとても大きく、畑もじつに広大だ。兄のコスタスが、集団農場の労働歌を歌っている。さあ、ともに歌おう。

(15)
私は自分たちのことばかりしやべっている。あなた方がここの「社会的現実」について、知りたがっているのは、よくわかっている。ソヴィエト化されたリトアニアの生活の実態、とか。しかし、この私にどうしてそんなことがわかるのだろう。私は記憶の破片を集め、自分の過去の痕跡を追い求めながら、故郷を探す旅の途上にある一人の難民だ。だから私が戻ってくるまでのセメニシュケイの時間は停止していたのだ。それが今、ゆっくりと再び動き出している。

(16)
そのあとみんなでペトラスの家へ行って、そこで夜遅くまで過ごした。

(17)
私たちはたっぷりとその夜を満喫した。兄のペトラスは納屋から干し草を運んで来た。私たちはその干し草に潜り込んで、朝まで寝た。ペトラスは干し草をまた納屋にしまった。まるで隠すようにして。「おい、アメリカに戻って、ここの人間は干し草の中で寝ているなんて言うなよ」。兄は面白がって、そう言った。

(18)
この夜、ヴィエニベ(これは団結を意味する)集団農場主催の歓迎会が催された。旧12カ村が集まって、この集団農場ができた。

(19)
ママは恐ろしかった戦後の日々について、話してくれた。警察は一年間も、私が家に戻ってくるのを、待ち構えていたのだそうだ。彼らは私がパルチザンに加わった、と考えていたのだ。毎晩のように、警官が家の裏手の薮に隠れていて、犬たちが吠え立てていた。

(20)
私は若く、ナイーブな愛国者だった。私はナチの占領に対して反対するための地下新聞を編集していた。私はタイプライターを、家の外の材木置き場に隠しておいた。ある夜、泥棒が忍び込んでこれを見つけて、盗んでいってしまった。ドイツ軍がこの泥棒を捕まえるのは、もはや時間の問題だった。私は大急ぎで、身を隠さなければならなくなった。その時、賢明なる叔父が、私たちにこう言ったのだ。「子供たち、西へ行きなさい。世界を見て、また戻っておいで」。ウィーン大学で勉強するという偽の書類を作ってもらい、私と弟は出発した。しかし、私たちはそこにはたどり着かなかった。ドイツ軍が私たちの乗った列車を、ハンブルグに向かわせてしまったからだ。私たちがたどり着いたところは、ナチス・ドイツの奴隷収容所だった。

(21)
私たちはのらくらして過ごした。コスタスも今日は畑仕事を早々切り上げて帰って来た。みんなで家の周りをうろうろして、昔使っていた道具類を、手に取ったりした。もう畑の仕事には使われなくなつてしまったものばかりだ。しかし、私たちにとっては、思い出の品々だった。私たちは鎌で家の周りの草を刈った。記憶だけによってできた現実、とでも言うものか。物置の側の垣根で、私たちは今は使われていない古い鋤を見つけた。コスタス兄さんがこう言った。「よおし、お前たちでそれを引っ張れ」。そう行って兄さんは、私に鞭を当てる真似をした。「これを映画に撮るんだ。おれたちがここでどんな惨めな暮らしをしているか、アメリカ人に見せてやるんだ。アメリカ人はそれが見たいんだろうから、見せてやれ」。もちろん、これは兄さんの冗談だ。

(22)
みんなで昔の校舎を見に行くことにした。私たちはみんな同じ学校へ通っていた。長く、深く、寒い冬に、私たちは鼻の頭を真っ赤に凍らせ、頬を寒風と雪にさらしながら、連れ立って、畑や凍った川や森をぬけて、学校へ歩いていった。ああ、でもなんて美しい日々。その冬の日々のことを、私はけっして忘れない。あの頃の私の友人たち。君たちは今どこにいるんだい。君たちのうちの何人が、生き残ったのだろう。基地や、拷問部屋や、監獄や、西欧文明の労働キャンプに、散り散りになってしまった君たち。しかし、私には、私の好きだった昔のままの、君たちの顔が見える。君たちの顔は、私の記憶のなかでは、いつまでたっても変わらない。いつまでも子供のままの君たち。私だけが年を取っていく。

(23)
これは、はじめて耳にする歌だ。故郷を遠く離れた者が、こう歌う。「お母さん、もう一度会いたい。この長い灰色の道が、いつか僕を故郷に、すぐにでも僕を故郷に導いてくれますように」。

(24)
今朝は火のつきが悪い。お母さんは外で料理をする。家の中よりも、外のほうがいいと言う。家の中だと暑いし、煙いから、外で料理をしたほうが気持ちが良い、と言うのだ。でも今朝はなかなか火がつかない。そこで、お母さんは枯れ枝や葉っぱや新聞紙を集めて来て、火をつけて吹いた。私も一緒になって吹いた。ずいぶん長いことがんばって、火はやっとついた。

(25)
そうさ、あの人たちはあの風呂場の陰に隠れて、一年以上も、お前のことを待ち伏せしていたんだよ。だから毎晩、犬が吠え立てていたっけ。

(26)
子供の頃からよく知っている村の女たち。彼女たちは私に、悲しげな鳴き声を上げながら、畑の上を飛んでいく、さみしい秋の鳥を連想させる。つらく、悲しい人生を過ごしていた、私の子供時代のあの女たち。

(27)
別れの日は雨だった。空港は雨に降り込められていた。私は悲しかった。でもおかしなことに、私はスチュワーデスの脚を見ていた。私は幼友達のナルブタスの言ったことを思い出していた。「男ってのは、女の脚を見ているうちは、結婚できないものさ」。ということは、私はまだ当分は結婚しないってことだ。

─PART3に続く─


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コメンタリー PART 3

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