第一部

(1)
1957年か58年の、まだ秋も浅い頃の日曜日の朝に、私たちはキヤッツキルズへ出かけて、森を歩いた。私たちは杖で落葉を払いながら、木の葉の間を歩いていった。上へ上へと、奥へ奥へと、歩いていった。この十年間にあったことをすっかり忘れて、何も考えずに歩くのは、気持ちがよかった。戦争のことも、ブルックリンで飢えていたことも、みんな忘れて、山歩きのできる日がくるなんて。アメリカヘ渡ってきて、孤独感から開放されたのは、この日がはじめてだったのではないか。まだ秋も浅い一日、森を歩きながら、私はそう感じた。私は大地の存在を落葉や木々や人々を感じた。まるで自分がゆっくりとその一部になっていくかのように。つかの間、私は故郷のことを忘れた。この時、私にとっての新しい故郷がはじまった。私は叫んだ。「おおい、また私は時間の絆をふりほどいたぞ」。

(2)
私はブルックリンの通りを歩いていた。しかし私の記憶に残っている光景や匂いや音は、この通りのものではなかった。古い移民も新しい移民も、ブルックリンにあるアトランティック街のはずれで、よくピクニックをしていた。私が彼らを見ていると、彼らも私をのぞきこんだ。みんなが、見知らぬ土地へまぎれこみ、寄る辺を失って死にかかった、奇妙な動物のようだった。彼らはたしかにアトランティック街にいた。しかし、本当には、彼らの心はまったく別のどこかをさまよっていたのだ。

(3)
はじめて手にしたボレックスで撮影したシーン。私は反戦のための映画をつくろうとしていた。私は「戦争があったのだぞ」と叫びたかったのだ。街を歩き回っていても、誰も戦争があったことなど知らないかのように思えた。この世には、人々が安心して眠ることのできない家があったのだ。その家の扉は、夜、兵士や警察の長靴で、いつ蹴破られるかも知れないのだ。私はそういうところからやって来た。しかし、この街の誰も、そのことを知らなかった。

(4)
もちろんだ、私は難民キャンプからやってきた君、戦後の悲惨な日々を越えて来た君のことを忘れない。今だって、私たちは難民キヤンプにいる。それどころか、世界は難民でいっぱいだ。どこの大陸にも、難民があふれている。あそこを出されたその時から、私たちは故郷をめざした。その旅は今も続き、私は故郷への旅の途上にある。ああ、世界よ、私はこんなにお前のことを愛しているのに、どうしてお前は私たちを、あんなにむごたらしくあつかったのだ!

(5)
タイムズスクエアにたたずんでいる時、突然に、強烈な白樺の木の肌の匂いが、自分に近づいてくる、そういう体験をあなたはしたことがないだろうか。

(6)
弟は言う。「僕は平和主義者だから、戦争が嫌いだ」。だからここでまた兵隊にとられて、前の戦争の記憶もなまなましいヨーロッパに送られた時、弟は木の葉をむしりとって食ベて、気がふれていると診断され、またアメリカに送還されることに成功した。

─PART2に続く─


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コメンタリー PART 2

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