2001年以降の個人制作ドキュメンタリーを特集する。2001年以降とは、ノンリニア編集が一般化して映像制作の裾野が広がり、たった一人でも作品を作ることも可能となった頃で、webやケータイなどの情報端末が爆発的に行き渡り、コミュニケーションのクセが急激に変わった時期でもある。またこの頃から自殺者と交通事故の死者が逆転、今や前者は後者の4倍ともいわれる。「美しい国」の何となく危なっかしい空気はこの頃から感じられていたのかもしれない。
メッセージの送り手、受け手の環境も変わって、コミュニケーションのあり方が希薄化、メカニカル化、単調化している中、自己を(虚構化してでも)開くことで、他との関係を結ぶ触媒となるような新しいアプローチの作品群を上映する。
Aプログラムは他言できない過酷な環境の自己に向き合った若い作家と、体の変化、環境の変化に作家として向き合ったベテラン両氏の映像による往復書簡。Bプログラムはドキュメンタリーの枠組みを超えて、虚構や妄想の中からあふれ出る自己を活写したエネルギッシュな2作品。Cプログラムは、面と向かって語れなかったことを「学校課題」という平凡なきっかけで堰を切った様にあふれ出す樣と、古稀を迎えた作家による身体と意識との関係を変えていくエクササイズ・ムービー。A,B,Cプログラムは先生と生徒、映画祭をきっかけに交流など、作家間のコミュニケーションも興味深い。Dプログラムは街にいる人に注目した3人の女性作家の視線の物語。A〜D各1回、作家によるショートスピーチを設ける。(澤隆志)
Aプログラム 自分に対峙する
以毒制毒宴 二宮正樹/8ミリ/25分/2000
映像書簡10 かわなかのぶひろ+萩原朔美/ビデオ/36分/2006
Bプログラム 妄想の飛翔
愛の矢車菊 樋渡麻実子/ビデオ/45分/2006
スーパー・ドキュメンタリー 前衛仙術 金井勝/ビデオ/32分/2003
Cプログラム 私的の極み
Father Complex 佐俣由美/ビデオ/27分/2002
極私的に遂に古稀 鈴木志郎康/ビデオ/35分/2005
Dプログラム 人に会える街
つぶつぶのひび 大木千恵子/ビデオ/19分/2004
Tokyo Mid1, Tokyo Mid 2 高橋ジュンコ/ビデオ/11分/2007
ボンと私 池浦由起子/ビデオ/20分/2006
以毒制毒宴
ごくありふれた家族のお話。それをごく主観的に撮ってみました。母は結局働き続けるし、僕は結局映画を撮り続ける。バカなひとたちの業は深い。笑い飛ばしたくても笑い飛ばせないもどかしさ。 <BBCCネットアート&映像フェスタ '2000 最優秀賞>
映像書簡10
もしかして、神は生物の生死を間違って創ってしまったのではないだろうか。最近そう思えてならない。まず、加齢することで身体がおとろえるのはおかしい。老化することで心が幼児化するのならば、身の方も赤ん坊になればいい。ならば、人間は老人の身体を持って生れ、赤ん坊となって死滅する方がいいのではないだろうか。その方が、親の介護をする子供はどんなに救われるか知れない。私は、昨年末から、急に老母と同居することになった。自分が、まさか親の介護をするとは夢にも思わなかった。私も自分の今が受け入れがたい。彼女も自身の老化を受け入れられない。そんな日々にカメラをむけたのが今回の映像だ。かわなかさんが、自分の身体と向き合う姿と、私の親の身体と向き合う様が、どんな映像になるのか。まったく予定調和のない進行が自分でも楽しみである。(萩原朔美) <イメージフォーラム・フェスティバル2005、山形国際ドキュメンタリー映画祭2005 私映画から見えるもの、ヴィジョン・デュ・レール映画祭>
愛の矢車菊
あいまいな中で生き続けることに違和感を覚えながらも、疑問を持つことなく、思考しないまま、やり過ごす人の話。でも、少々希望も盛り込んだ。 <宝塚映画祭、SKIPシティ国際Dシネマ映画2006 奨励賞>
スーパー・ドキュメンタリー 前衛仙術
映像作家のぼくが〈別人〉である金井勝丸を取材したドキュメンタリーです。老人の勝丸は若い時の付録のような生き方は御免だと仙術の修業を重ねます。そして遂に彼は〈前衛仙術〉なるものを編出してぼくには不可能な世界を切り拓きます。これはかつてないドキュメンタリー作品だと思っていますが、30年ほど前に読んだフランスの詩人、ポール・ヴァレリーの「テスト氏・未完の物語」がふと脳裏を過ぎりました。 <イメージフォーラム・フェスティバル2003、第50回オーバーハウゼン国際短篇映画祭:国際批評家連盟賞>
Father Complex
作っている間はただ「作品にする」ということしか頭にはなかった。その過程で変化したことっていうのはないです。誰にも知られてはいけない秘密(父のこと)を持っているということが重荷で、そしてそれを知られることが、とてもこわかった。自分の中での変化を感じたっていうのは、むしろ上映した後のほうです。知られたくなかったことを、クラスの人たちに上映という形でぶちまけたということで、人間関係が変わってしまったということはなくて。ただ、自分の過去やコンプレックスを他人に知られている、知られていないにかかわらず、人と接することに重要なのは、相手に対する自分自身の姿勢なんだな、ということに気づいた。そのことが自分にとって大きな変化でした。(山形国際ドキュメンタリー映画祭 監督インタビューより抜粋) <イメージフォーラム・シネマテーク、第18回国民文化祭・やまがた2003 ドキュメンタリー映画フェスティバル>
極私的に遂に古稀
2005年5月にわたしは遂に70歳になる。この年齢を微分すると、肉体の衰えは避けられないが、意識の上では結構ラジカルになっているように感じる。 2004年の夏、つまり69歳になってから毎日のように体操を始めた。それで何とか腰痛と膝の痛みを切り抜けつつある。自分の身体が意識の対象になり、 若い連中の身体の動きに連日接しているうちに、意識も活性化してきたというわけだ。自分の意識の持ち方を「アクション」として運動させようと思い始めた。そこに到る1年を映像で振り返る。 <イメージフォーラム・フェスティバル2005、山形国際ドキュメンタリー映画祭2005 私映画から見えるもの、ヴィジョン・デュ・レール映画祭>
つぶつぶのひび
私は納豆工場でバイトをしています。久しぶりに会った友達は、風俗で働いていました。パイロットは、空を飛ぶことが当たり前なんだそうです。誰もがそれぞれの日常生活を送っています。私は、そこからの脱出を試みます。 <イメージフォーラム・フェスティバル2005、第34回ロッテルダム国際映画祭>
Tokyo Mid1, Tokyo Mid 2
このシリーズは、私たちを取り巻く社会と個人の存在を、象徴的に捉えるようなものとして制作しました。 撮影場所は、ミッド・トウキョウのシンボル的なエリア、東京・丸の内、大手町です。私たちを取り巻く状況を象徴的に表す場所として、現在の日本の「都市」をイメージさせるこのエリアを選びました。 2作品共制作において共通しているのは、撮影する時刻を夕方の明るさが変化する時間帯に行なった、という事です。 時間の移り変わりの中、モデルとなる女性が同じ姿勢で佇んでいます。そのイメージは、”個人の存在”と”個人の回りを流れ行く物事”との対比を表わしているかのようにも見えます。 そして、彼女は人や物事が行きかい交差する場所に、「都市」のランドスケープとして、街のなかに立ち続けています。 <LOTUS ROOT GALLERY、08年東京都写真美術館公開予定>
ボンと私
私にとって全く知らない人を訪ねることは、今までの人生の中でもベスト5に入るくらいの勇気を振り絞った出来事でした。しかしこの出会いが素敵なきっかけとなりいろいろなことを学びえる事ができました。そんな気持ちを今の自分の精一杯の力で表現しました。 <高崎映画祭2007>