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水平線は・・・
何処ともなく不可知の領域へと人を誘う。
(『ビーコン』マティアス・ミュラー+クリストフ・ジラルデ)

海辺にて●この生きた素材、バカンスの映像のゆがんだ反響は『海辺にて』にパトリック・ボカノウスキーにおける新たな静寂、平穏をもたらしている。だがこの具象的次元にとどまっていたのでは、表象をまさに引きはがし歪曲・断片化・波状反射によって未知の映像を生み出そうとするこの映画(4つのパートからなるこの映画の第3部で特に鮮明)を正当に評価できない。だがまた、その動く映像の魅惑を正確に言い表す言葉を見つけるのも難しい。歪められ変形されたウィンドサーフィンの映像は空を飛ぶ蝶の羽ばたきを思わせるだろう。しかし同時に、次第に進んでいく「歪曲」と同じほどに具象性からも逃れるのは難しい。そうした映像の元の姿を我々は知っているし、その記憶をうまく消すこともできない。おそらくこの暫時的変化は第3部という至高点で映画の絶頂に達するために必要だったのだろう。そこで生き生きしているのは海だけ、海の記憶だけ、無限に吹き上げる間欠泉が溶岩のような時間の中で宙吊りにされた波の運動だけなのだ。水はその流動性を失うことなく有機的なマチエールとなる。潮の干満は永遠にも等しい。
(ジャック・ケルマボン「ボカノウスキーの新たなる転換点」/ブレフ誌13号1992年5月より)

冬の旅●近年カエンが世界各地を旅しながら作っているシリーズのひとつ。この作品は南極大陸の旅であると同時に、記憶の、想像力の旅でもある。何もない白い空間のなかで繰り広げられる幻覚のような映像。それらはひとたびくっきりと姿を現したかと思うと、再びまた消えていく。我々がビデオについて考えるとき決まって思い起こされるP・ヴィリリオの言葉「消滅の美学」は、ロベール・カエンの世界で事物がどのように見えるかを完璧に言い表している。
(イメージフォーラム・フェスティバル1994カタログより)

CHROMATIC CLIFF●ウルワツの崖(インドネシア)とハーグの海岸(オランダ)と東京の太陽。音色、音程のポルタメントのように、緯度、経度、時間軸、具象的情報と抽象的なもの、色、可視域の波のグライド
(山本信一/イメージフォーラム・フェスティバル1997カタログより)

渚にて●タイトルはグレゴリーペック主演の映画から拝借しました。過疎の町に滞在中に感じた、おおらかな終末感は、私の住まう都市と無縁だとは考えにくいものでした。ともすれば抗うべきとされるような事態に対して、迷いながらも受け入れていくかの様子に見えたのです。これも一つの解決法なのだと。行ったり来たり、昇ったり降りたり、反転しながら、消えてゆくのは風景でしょうか、自分達でしょうか。(土屋貴史)

Fisherman's blues●「ローカルズ」「OCEAN SURFER COOL DAD BUILDING SHOP SURFBOARDS」をリリースした実験的かつトロピカルな音楽家、パードン木村の楽曲「Fisherman's bluse」のPV。以下は向島徹氏による対訳
もしも漁師だったら、
海をかけめぐり、
郷から遥か彼方に
で、それは苦い思い出
安らぎを海に投げ出す
期待も絶望も共に
船壁は僕を縛らない
頭上に煌めく星空を仰いで
そして、君は僕の胸の中

もしも、機関士だったら、
大地をかけめぐる
全速力の汽車で
まるで、豪雨の大砲
安眠を妨げる
燃やそう、石炭をどんどん
灯籠をかかげて、
魂が溢れた夜を
頭の中には光が煌めき
そして、君は僕胸の中

知ってるさ、縛りついてる縄も
からみつく鎖も結局、消えてなくなる
で、ある晴れたいい日に
自分が戻ったら、
汽車に乗り込み
海を目指すよ
頭の中には光が煌めき
そして、君は僕の胸の中

ビーコン● 『ビーコン』は世界中の10個所で撮影されたショットのコラージュ作品である。これらは、ロケ地が海辺である点で関連づけられている。紀行映画と劇映画のフッテージを組み合せて、架空の場所を作りだす。海についての物語と、観光地の空虚なビーチ・ライフが響きあう。誰もがが夢見る楽しい場所をコラージュし、海の眺めを魅力的にして、『ビーコン』は"どこでもない場所"への旅にいざなう。
(マティアス・ミュラー+クリストフ・ジラルデ)
海辺にて
ビーコン
受付
当日900円/会員600円

海辺にて
パトリック・ボカノウスキー/35ミリ/14分/1992
冬の旅 ロベール・カエン/ビデオ/19分/1993
CHROMATIC CLIFF
山本信一/ビデオ/11分/1996
渚にて 土屋貴史/ビデオ/15分/2002
Fisherman's blues 山本信一/ビデオ/5分/2001
ビーコン
マティアス・ミュラー+クリストフ・ジラルデ/ビデオ/15分/2002