“まるで映画のよう”な影と光の戯れを映画に定着する萩原朔美の短編集から始まり、風景をラストシーンにしてしまう視線をステッカーに物理展開して、映画を日常の窓にお持ち帰りするトライについて考察。漢字一文字を、よりグラフィカルな古代文字から再想像する書家の華雪は、消えゆく書としての「忘書」を披露。
スクリーンから文字を取り出し、文字をスクリーンに晒す。象形と映像を巡る上映とトーク。
(キュレーション:澤隆志)
プログラムA(上映)[1月28日(土)13:00〜]
萩原朔美短編集
光の出現→ 影を見つめる→ 光を刻む→ 観光の発見 → 終の光
KIRI 16ミリ(デジタル版)/8分/1972
ザ・ドリーム・ネック・ギロチンド 16ミリ/3分/1972
トランスレイト 16ミリ/5分/1984
キライズム デジタル/20分/2008
DRAMA 16ミリ(デジタル版)/3分/1974
映像書簡7 かわなかのぶひろ+萩原朔美/16ミリ/31分/1996
プログラムB(トーク)[1月28日(土)15:00〜]
「終」について 萩原朔美の場合
「自分の撮った映像を見ると、全部映画のラストシーのような風景に思えてくるんですよね。」
「自分が撮った映像全部に、エンドマークを付けているように風景を見ているように思うときがありますね。」
数年前にイメージフォーラムの鑑賞講座で『映像書簡7』(かわなかのぶひろ+萩原朔美)を上映していたとき、ラストパートを見て小躍りした。ショットにスーパーインポーズしたエンドマーク。ならこれを物質化して、お家やホテルや列車の窓にオーバーレイしようじゃないか!と。上映会や展覧会やネット以外で実験映画にリーチする方法があったらいいなという空想に合致するものが初めて生まれた。(澤隆志)
映像書簡7 かわなかのぶひろ+萩原朔美/16ミリ/31分/1996(抜粋)
トークセッション 萩原朔美x澤隆志
プログラムC(トーク)[1月28日(土)17:00〜]
「忘」について 華雪の場合
「書に光が当たって、うつろって、見え方が変わることに、どうも強い興味があるんだと最近ようやく自覚して、ここからまたいろいろ探りたいなと思ってます。」
ただしい、きれい、という作法の窮屈さから書を放っているかのように思える華雪さん。拝見する書は吊られたり、照らされたり、風を受けたり……。 今回は書が“乾く”、“滲みる”ことによる形態変化を、記憶の移ろいに見立てた「忘書」をトライ。毎日使っている道具としての一文字が、スリリングな無声映画になった。(澤隆志)
「忘書」記録映像
トークセッション 華雪x澤隆志
萩原朔美
1946(昭和21)年東京生まれ。母は小説家・萩原葉子。祖父は詩人・萩原朔太郎。初期の「演劇実験室・天井棧敷」で演出家として活躍。多摩美術大学名誉教授。映像作家。著書に『思い出のなかの寺山修司』『定点観測』『砂場の街のガリバー』『「演劇実験室 天井棧敷」の人々』『死んだら何を書いてもいいわ―母・萩原葉子との百八十六日―』など。
http://sakumihagiwara.com/
華雪
1975年、京都府生まれ。書家。幼い頃に漢文学者・白川静の漢字字典に触れたことで漢字のなりたちや意味に興味を持ち、文字の成り立ちを綿密にリサーチし、現代の事象との交錯を漢字一文字として表現する作品づくりに取り組むほか、文字を使った表現の可能性を探ることを主題に、国内外でワークショップを開催。刊行物に『ATO跡』(between the books)、『書の棲処』(赤々舎)など。『コレクション 戦争×文学』(集英社)をはじめ書籍の題字なども多く手掛ける。
https://www.instagram.com/kasetsu_sho/
※「それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱」
世田谷美術館 2022年12月3日(土)〜2023年4月9日(日)
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/
※END MARKS -貼れるAR、風景の映画化-
https://museumshopt.base.ec/items/69282460
※一片 ――そこにあるもの――
(一片のことばを眺める。家具とともに)
GOTTA九段下 2023年3月9日(木)〜2023年3月13日(月)
https://www.instagram.com/kasetsu_sho/