レゲエの誕生、そして全世界の音楽シーンに大きな影響を与えた伝説のレーベル「トロージャン・レコーズ」の栄光と転落を描くドキュメンタリー!

ルードボーイ トロージャン・レコーズの物語

監督:ニコラス・ジャック・デイヴィス 撮影:ジョナス・モーテンセン 編集:クリス・デュベーン 出演:ロイ・エリス、リー・スクラッチ・ペリー、デリック・モーガン、ポーリーン・ブラック、ドン・レッツ、ケン・ブース、トゥーツ・ヒバート、ザ・パイオニアーズ、マルシア・グリフィス、バニー・リー、キング・エドワース、ダンディ・リヴィングストン、ロイド・コクソン、ネヴィル・ステイプル、デイヴ・バーカー
COMMENT
 
英国初の多文化ポップ・ムーブメントへのラブレター。
明るくリッチなサウンドトラックで、
予備知識無くてもひたすら楽しむことができるドキュメンタリー。
     スティーブン・ダルトン(Hollywood Reporter誌)
『ルードボーイ』は、音楽が人を結びつけることを証明する。
私がこれまで観た最良の音楽ドキュメンタリー!
     ロリー・キトカ(Film Threat)
黒人も白人も音楽愛を通じて連帯した。
その中心にはトロージャンがあった。
     ドン・レッツ(DJ、映画作家)
40年間ジャマイカ音楽をリリースしてきた。
だがトロージャンは俺より15年も早くイギリスで流通開始。
おかげで70年代後半には俺も輸入盤を手にできた。
チェルシー「Liquidator」の入場コールには涙が出るし、
レゲエがイギリスに完全に潜入できたのがわかる。
ストリングスを足したから売れなくなった?
それってRuff&Tuffってこと。
いつだってレゲエはストリートミュージックだ。
     石井志津男(OVERHEAT MUSIC/Ruffn’ Tuff監督)
1960~70年代のレゲエが移民の流れに伴って英国で迎える青春時代を追った感動作。
そして、ここで描かれている青春は鑑賞したぼくらに引き継がれたわけだ。
ユース・カルチャーとは年齢だけに呼応するものではない。
『RUDE BOY』観て、僕らの時代の青春を追求しに街に出よう!
     本根誠(avex 出戻り)
ジャマイカ生まれのレゲエが、どのようにして広くイギリスで派生し、
世界中に愛される音楽になったのか?
それは“スキンヘッズ”が“ルードボーイ”たちの音楽に惹かれたから!
しかもその架け橋が「Trojan Records」だったのですね!!!
数々のヒットチューンとその時代背景を、
切り拓いてきたミュージシャンたちの貴重な証言・秀逸な再現映像で
あたかも体験したかのように感じられるので、
歴史や音楽の授業で多感なティーンたちにも
ぜひ見てもらいたいです。
     asuka ando(ラヴァーズロックレゲエシンガー)
スカ、レゲエ、サウンドシステム。
ルードボーイにスキンヘッズ。
イノック・パウエルとレイシズム。
パンクへの影響、2toneの誕生。
レゲエがイギリスに渡った事がいかに重要な出来事で、
トロージャンの功績がいかに大きかったのか、
この作品を観れば理解できる。
     SILENT POETS/下田法晴
INTRODUCTION
レゲエの誕生に大きな影響を与えながらも、わずか数年で表舞台から去った伝説のレーベル「トロージャン・レコーズ」。本作品はダンスフロアを激しく揺さぶり、差別や偏見と闘う人々を鼓舞し、いまだフォロワーを増やし続けるルードボーイ(荒くれ者)たちの熱く、儚い物語の軌跡を辿る音楽ドキュメンタリーだ。
当時のアーカイヴ映像や再現ドラマに加え、リー・スクラッチ・ペリー、トゥーツ・ヒバート、ケン・ブース、ネヴィル・ステイプル、マルシア・グリフィス、デイヴ・バーカー、ダンディ・リヴィングストン、ロイド・コクソン、ポーリーン・ブラック、デリック・モーガンなど、伝説的アーティストたちが、この魅力的なストーリーの語り部として登場。
監督はイギリスのフォークロックバンド、マムフォード・アンド・サンズのライヴの模様を記録した『THE ROAD TO RED ROCKS』で2014年のグラミー賞の「最優秀音楽映画賞」にノミネートされたニコラス・ジャック・デイヴィス。
STORY
1956年ジャマイカ、西キングストン地区。デューク・リードが開業した酒場トレジャー・アイルの名物は“トロージャン”と名付けられた巨大なサウンド・システム。アメリカ産のR&Bやブギのレコードのリズムにあわせ、人々が集い踊るダンスフロアと化していた。やがてリードは地元のシンガーやバンドを集め、オリジナルのレコードを吹き込む。デリック・モーガンが唄う「Lover Boy」は大ヒットを記録。その後も多くのシンガーを輩出し、ジャマイカ発のR&Bは独特の進化を遂げ、スカやロックステディ、そしてレゲエが誕生した。

一方、ジャマイカ独立を機に多くのジャマイカ人が移住したイギリスに、アジア系ジャマイカ人の実業家リー・ゴプサルがいた。ジャマイカで誕生したレゲエに新たなビジネスのチャンスを見出し、1967年に英国初のレゲエ専門の音楽レーベル「トロージャン・レコーズ」を立ち上げる。イギリスに渡った“トロージャン”は多くのジャマイカ人に愛されただけでなく、労働者階級の白人ユースカルチャーとも共鳴。1970年4月26日ウェンブリー・スタジアムで開催されたレゲエ・フェスティバルには一万人を超える黒人と白人の若者で満席となり、レゲエは人種を超えた大きなムーブメントを巻き起こす。

しかしやがてトロージャン・レコーズの事業は傾き始め、倒産の危機を迎えてしまうのである・・・。