リトアニアへの旅の追憶
Reminiscences of a Journey to Lithuania
ジョナス・メカス監督
Jonas Mekas
1972年作品/1950〜1972年撮影/モノクロ&カラー/87分/オリジナル16mm
日本語字幕:中沢新一+西村美須寿/1996年、35mmブローアップ版で劇場初公開


[イントロダクション]

1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始めます。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げました。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりでなく、アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作として広く愛され続けています。
なお、この映画に描かれている彼の出身の村セミニシュケイは、いわば彼自身の追憶の中の存在というべきものであり、メカスのカメラは、彼の少年時代の痕跡や思い出に向けられているが、現在、セミニシュケイは、廃村あつかいとなり、地図上にはなく、文字通り追憶の中の存在となってしまったといいます。

[ジョナス・メカス自身による解説]

この映画は3つの部分から構成されている。まず第一の部分は、私がアメリカにやって来てからの数年、1950〜53年の間に、私の最初のボレックスによって撮られたフィルム群から成っている。そこでは、私の弟アドルファスや、そのころ私達がどんな様子であったかを見ることができる。ブルックリンの様々な移民の混ざりあいや、ピクニック、ダンス、歌、ウィリアムズバーグのストリートなどを。
第二の部分は、1971年に、リトアニアで撮られた。ほとんどのフィルム群は、私が生まれた町であるセミニシュケイを映しだしている。そこでは、古い家や、1887年生まれの私の母や、私たちの訪問を祝う私の兄弟たるや、なじみの場所、畑仕事や、他のさして重要ではないこまごまとしたことや、思い出などを、見ることになる。ここでは、リトアニアの現状などというものは見ることはできない。つまり、27年の空白の後、自分の国に戻って来た「亡命した人間」の思い出が見られるだけなのである。
第三の部分はハンブルクの郊外、エルンストホルンへの訪問から始まる。私たちは、戦争の間l年間、そこの強制労働収容所で過ごしたのだった。その挿入部分の後、われわれは私たちの最良の友人たちの一部、ペーター・クーベルカ、ヘルマン・ニッチ、アネット・マイケルソン、ケン・ジェイコブスと共に、ウィーンにいる。そこでは、クレムスミュンスターの修道院やスタンドルフのニッチの城や、ヴィトゲンシュタインの家などをも見ることができる。そしてこのフィルムは、1971年8月のウィーンの野菜市場の火事で終わることになる。  ──ジョナス・メカス


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