イントロダクション
個人映画作家にとって身近な被写体であり、テーマである「母」をテーマにした母の日ならではの特集プログラム。2023年の前回はお母さんが作中に登場し、(過剰に?)活躍する映画を特集したが、今回は母となった作品自身の心情や、母と娘の関係性を丹念に描いた作品など、より多様な「お母さん映画」を上映する。 実験映画をも生み出してしまう母の力に注目。
上映作品
極東のマンション 真利子哲也/8ミリ(デジタル上映)/32分/2003
ロックダウンボーイ 山口健太/デジタル/10分/2021
家 池端規恵子/デジタル/14分/2024
お母さんへ 能瀬大助/8ミリ(デジタル上映)/4分/1998
眼球の人 村岡由梨/デジタル/12分/2023
※上映後に来場作家によるトークあり
作品紹介
極東のマンション
作者は実家のマンションを出て安アパートで映像制作を始める。「面白い作品を作りたい!」。思い悩む作者はカンボジアへ行き、危険な撮影行為に挑むが、母親からこっぴどく批判されてしまう。行き詰まった作者はさらに過激な撮影へと突き進んでいく…。
ロックダウンボーイ
僕はどうしても身の回り半径1メートル以内のものからしか作品を発想することができず、この作品をつくった当時は実家暮らしでしたので「自分」「家の洗面所」「コロナ禍」そして「同居している母」をモチーフに制作を始めました。
僕はどうしても作中で母を殺してしまうというクセがあります。今では大分言語化できるようになったのですが、当時はほんとにクセのようなものでした。
実際の母はそんな僕の映画を見て「またそんなことして!もう出ないからね!」と言いながら僕がやることをいつも許してくれます。
もしかしたら、その許しそのものが怖くて殺していたのかも!
ロックダウンボーイは三部作あり、この作品は一本目の作品です。三部作すべてに母が登場し、控えめに言って大躍動しています。
機会があれば全部みていただけますと幸いです。(山口健太)
家
代々女を産むことで命を繋げてきた私の家族。違和感を感じながら成長した私もまた娘を産み、この家族を継承した。世代を超えて繰り返される愛情と抑圧。母とは、娘とは、何か。そんな中見つけたのは、母が当時2歳の私にあてて書いた古い手紙だった。
膨大に残るホームビデオを用いて描く。祖母・母・私・娘の4世代が出演し、ナレーションは母と娘がつとめた。(池端規恵子)
お母さんへ
この作品は27年前の5月に撮影しました。当時、私は母の気持ちをまったく想像しようとはせずに、この手紙を書きました。今回、あらためてこの作品を見直してみると、カーネーションを手に持った女性が写っていることに気づきました。今だったらもう少しうまくコミュニケーションがとれたのかもしれません。(能瀬大助)
眼球の人
電車に座るバイオリンを持ったセーラー服姿の“私”。向かいに座った男が両脚を少しずつ広げた“私”の股の間を凝視する。すると股の奥に“向日葵の花”が咲くのだった–––。同タイトルの作者自身の詩があり、その言葉が全編を紡ぐ。ランゲの「花の歌」の調べに乗って、花を咲かせていく向日葵のシーンは感動的だ。(IFF2023カタログより)