LECTURER

講師紹介

 
西嶋憲生
映像研究者
profile
大学時代にジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』と出会い、劇映画のみならず実験映画に強い興味を抱く。大学在学中の1970年代半ばに約1年パリで生活しあらゆるジャンルの映画を見て回り、その後美術出版社芸術評論賞入選を機に批評・翻訳などの執筆活動を開始。同時に編集・上映企画などにも携わり84-85年「月刊イメージフォーラム」編集長。劇映画評も手がけるが、とりわけアヴァンギャルド映像の研究が専門。著書に「生まれつつある映像 実験映画の作家たち」、「映像表現の創造特性と可能性」(共著)、「映像表現のオルタナティヴ」(編著)「美術×映像」(共著)、訳書に「フィルム・ワークショップ」、「アンディ・ウォーホル・フィルム」(ダゲレオ出版)など。
message
【イメージとの格闘】 今日、映像作品はひとりだけで自宅で作れてしまうが、表現をする者にとって最も重要なのは、他人の目で自分の作品を見れることだろう。それによって自分だけがわかっている作品から他者にコンセプトや感情が伝わる作品へとステップアップするからだ。この研究所における課題ごとの「講評」のポイントは、作品の出来不出来の論評ではなく、自作に対して他者の、外部の目を持つための訓練、「つくる」ために「見る」力をつける訓練にあるともいえる。それは、作家となるために不可欠であると同時に、ひとりで身につけるのが困難なものでもあるからである。  撮影においても、作品がパーソナルなものであればあるほど「見ること」や「まなざし」が重要になってくる。写真と同様、映像も画面上に被写体とその撮影者の視線が二重に映し込まれ、対象を撮影者=作者がどう見たかという「視線=まなざし」が記録されてしまうからである。ジョナス・メカスや鈴木志郎康の日記映画のように、見るまなざしだけでも作品が成立するのはそのためだ。 また映画ではふつうショットを一つの単位と考えて組み立てていくが、実験映画ではショットよりコマ(1フレーム)を単位として考えることが珍しくない。奥山順市の『LE CINEMA』では、1秒分のフィルム、つまりたった24コマだけを素材に、その順序を変えたりバラバラにしたり逆転したりしながら展開する。映画は1秒24コマの静止画の連続という原理から発想された作品だが、限られた素材をコマ単位で編集しながら、いかに多くの体験を生み出せるかに作者は挑戦した。 ドキュメンタリーであれアニメーションであれアート的アプローチであれ、スクリーンに投影される映像を通して自己表現しようする者たち、映画はこうあるべきという常識をはみ出していこうとする表現者たちが、各自格闘するために集まる場所、それがイメージフォーラム映像研究所であり「寺山修司」という名の教室なのだ。

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