リトアニアへの旅の追憶

"Reminiscences of a Journey to Lithuania" by Jonas Mekas

■ジョナス・メカス監督/1972年作品/1950─1972年撮影/モノクロ&カラー/1時間27分/スタンダード■35mmブローアップ版(オリジナル16mm) ■日本語字幕: 中沢新一+西村美須寿

1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始める。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げた。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりでなく、アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作として広く愛され続けている。

【メカス自身による解説】この映画は3つの部分から構成されている。まず第一の部分は、私がアメリカにやって来てからの数年、1950〜53年の間に、私の最初のボレックスによって撮られたフィルム群から成っている。そこでは、私の弟アドルファスや、そのころ私達がどんな様子であったかを見ることができる。ブルックリンの様々な移民の混ざりあいや、ピクニック、ダンス、歌、ウィリアムズバーグのストリートなどを。第二の部分は、1971年に、リトアニアで撮られた。ほとんどのフィルム群は、私が生まれた町であるセメニスキアイを映しだしている。そこでは、古い家や、1887年生まれの私の母や、私たちの訪問を祝う私の兄弟たるや、なじみの場所、畑仕事や、他のさして重要ではないこまごまとしたことや、思い出などを、見ることになる。ここでは、リトアニアの現状などというものは見ることはできない。つまり、27年の空白の後、自分の国に戻って来た「亡命した人間」の思い出が見られるだけなのである。第三の部分はハンブルクの郊外、エルンストホルンへの訪問から始まる。私たちは、戦争の間1年間、そこの強制労働収容所で過ごしたのだった。その挿入部分の後、われわれは私たの最良の友人たちの一部、ペーター・クーベルカ、ヘルマン・ニッチ、アネット・マイケルソン、ケン・ジェイコブスと共に、ウィーンにいる。そこでは、クレムスミュンスターの修道院やスタンドルフのニッチの城や、ヴィトゲンシュタインの家などをも見ることができる。そしてこのフィルムは、1971年8月のウィーンの果物市場の火事で終わることになる。──ジョナス・メカス

【ジョナス・メカス Jonas Mekas】
1922年、リトアニア生まれ。第二次世界大戦中に地下運動にたずさわり、ナチスの強制収容所に送られる。難民収容所をへて、'49年アメリカに亡命。ニューヨークで16ミリ・カメラを購入、日記のように身の回りを撮り始める。'55年、インディペンデント映画を特集した「フィルム・カルチャー」誌を発行するほか、「ヴィレジ・ヴォイス」紙に「ムービー・ジャーナル」を連載、後にインディペンデント映画のバイブル「メカスの映画日記」としてまとめられる。'61年の『樹々の大砲』、'54年『営舎』などを発表する一方、インディペンデント映画の配給、上映、保存活動を精力的にに続ける。'72年に代表作『リトアニアへの旅の追憶』を発表。以後も''75年に『ロスト・ロスト・ロスト』、'85年『時を数えて、砂漠に立つ』等を発表。'89年には20年がかりの映像美術館を開館する。アメリカを代表するインディペンデント映画作家、オルガナイザーとして世界の映像作家に多大な影響を与え続けている。またリトアニア語による詩人としても活躍、その文化的影響は計りしれない。