「ペーター・クーベルカ/映画の本質に向けて」
映画芸術の臨界点に立つ巨人、ペーター・クーベルカ初来日!

1997年春、ジョナス・メカス、スタン・ブッラケイジと並ぶ実験映画の巨匠ペーター・クーベルカが待望の初来日を果たしました。
クーベルカは現在までわずか6本の短編しか制作していない寡作の映画作家として知られていますが、1コマを単位とした制作上のコンセプトのために膨大な時間と綿密な作業を必要とするこれらの作品群は、映画史上極めて重要なものとして高い評価を得ています。
3月1日より3月9日まで横浜美術館、イメージフォーラム、大阪のインターメディウム研究所、高知県立美術館、愛知芸術文化センターにおいて「ペーター・クーベルカ 映画の本質に向けて」と題して全作品の上映と講演を行いました。

ペーター・クーベルカの瞳の輝き─講演レポート……横浜美術館 深田独
フィルムモグラフィとバイオグラフィ
「映画の本質に向けて」講演再録(3月3日/イメージフォーラム)


講演するピーター・クーベルカ
3月1日、横浜美術館レクチャーホールにて。


「ペーター・クーベルカ 映画の本質に向けて」レポート
ペーター・クーベルカの瞳の輝き


●自作『アーヌルフ・ライナー』のフィルムを張り詰めた壁の前に立つクーベルカ


『シュヴェヒャター』


『われらのアフリカ旅行』


『アデバー』


『自信にモザイク』

スポンサーとの戦争
 「スポンサーであるビール会社は、この映画の撮影のためにウィーンでもっとも高級なレストランに一流のモデルたちを呼び集めた。フィルムが2分間分1リールしかなかったことはスポンサーには内緒にしていたが、とにかく私はヴューファインダーの付いていないサイレント映画時代の古い型のカメラで、着飾ったモデルたちがシャンパングラスでビールを飲む様子を撮影した。が、その後スポンサーとはまるで戦争のような状態になってしまった。」
 ネガとポジによる数種類の短いショットを繰り返し編集し、サウンドトラックにノイズ音を録音した1分間の映画『シュヴェヒャター』。「のんびりした日常から脱して、この映画のスピードに乗ってください。それによってはじめて映画的エクスタシーに到達できるのです。」と作家が語るこの作品は、1985年当時ビールの宣伝映画としてはあまりに前衛的・実験的であったかもしれない。つくりたい映画をつくろうと思ったらスポンサーからフィルムを、つまり資金を奪いとってこなくてはならない、と熱いことばで聴衆に語りかけるペーター・クーベルカの瞳はいたずらっ子のように輝く。

個人の表現のメディア
 1950年代から映画にかかわったクーベルカにとって、映画を個人の表現のメディアとして獲得するためには、産業としての映画を支えるあらゆるものと闘わなければならなかったに違いない。1955年に撮った最初の映画『自信にモザイク』について、この映画はいかなる政治的なタブーや性的なタブーも侵してはいない、単に映画の形式に関するタブーを破っただけなのに、この映画によって映画産業の世界で仕事をしていくあらゆる可能性が閉ざされてしまったと、みずからを振り返って語るクーベルカには、形式に挑むことが保守的な勢力に対していかに挑戦的な行為であるか充分にわかっていたに違いない。映画は人類が石器時代以来はじめて手にしたニューメディアであると考えるクーベルカは、人類は映画によって、言語による思考、音による思考、絵による思考に加えて、映画的思考を獲得したと力説する。そしてそこにこそ彼が映画を愛し、映画産業やスポンサーたちと自信と誇りをもって闘い続けてきた根源を見いだすことができよう。

世界の再構築
 裕福な実業家たちにサファリの記録映画をつくるよう依頼され、旅行に同行して帰国後5年間かかって完成させた『われらのアフリカ旅行』(1966年)について作家は語る。「映画が現実をありのままにレポートするものだというのは幻想に過ぎない。映画は現実に起こったことについてある見方を提示するものである。映画映像は世界からある部分を切り取ってきたものであり、それをつなぎあわせてつくり上げられた映画世界はもはや現実の世界とは異なった世界である。…とりわけサウンド映画が偉大であるのは、映像(イメージ)と音(サウンド)を同時に記録することができるという点にではなく、イメージとサウンドを分けて記録できるという点にある。つまりサウンド映画によってイメージとサウンドを分解し、再構成することが可能になったのである。」
 そもそも映画を撮るということは、言語で何かについて語るのと同様に、世界を部分化する行為である。そしていったん部分化したものを再構築すること、すなわち世界から切り取った部分を再構成して全体を回復する行為こそが芸術活動であるといえよう。クーベルカのことばを借りれば、自然の論理をいったん破壊して新たな自然をつくりあげることこそクリエーターとしてのアーティストの仕事であるということになる。『われらのアフリカ旅行』の構成要素である映像と音はサファリ旅行のなかにあったものであり、彼は5年間かけてその映像と音を解体し、作家の論理にしたがって再構築し、そこに新しい生命を吹き込み、新たな映画的リアリティをつくりあげたのである。

メタフォリック・シネマとメトリック・シネマ
 今回上映した作品をクーベルカ自身はふたつの種類に分類している。『自信にモザイク』、『われらのアフリカ旅行』、『ポーズ!』(1977年)をメタフォリック・シネマ、『アデバー』(1957年)、『シュヴェヒャター』、『アーヌルフ・ライナー』(1960年)をメトリック・シネマと呼ぶ。特に彼のメトリック・シネマが、後に構造映画と呼ばれる映画の先駆けをなすものとして映画史的にも重要な位置を占めていることを確認できたことは今回の企画におけるおおきな収穫のひとつであった。作家の帰国を前にしてのパーティーの席上映画作家奥山順市が、若いころに出会ったトニー・コンラッドの『ザ・フリッカー』(1966年)の父親に会えたような気した、と今回『アーヌルフ・ライナー』を観たときの感動を語っていたのが印象的に思いだされる。

(横浜美術館/深田独)


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