ひなぎく
Sedmikrasky
ブルーレイ概要
  • ひなぎく

    『ひなぎく』(Sedmikrasky/'66/カラー/チェコ・スロヴァキア/75分)

    監督:ヴェラ・ヒティロヴァー 原案:ヴェラ・ヒティロヴァー+パヴェル・ユラーチェク 脚本:ヴェラ・ヒティロヴァー+エステル・クルンバホヴァー 撮影:ヤロスラフ・クチェラ 美術:エステル・クルンバホヴァー+ヤロスラフ・クチェラ 衣装:エステル・クルンバホヴァー 音楽:イジー・シュスト+イジー・シュルトゥル 出演:イトカ・ツェルホヴァー(マリエ1役)/イヴァナ・カルバノヴァー(マリエ2役)/他
    ©:State Cinematography Fund

    HDニューマスター/シナリオ全訳ブックレット(32頁+表紙)付


    DAB15047/本編:75min/一層/color/MPEG-4 AVC/複製不能/本体4,700円/スタンダード・サイズ/音声:オリジナルチェコ語(リニアPCMモノラル)/字幕1. 日本語字幕
DVD概要
  • ひなぎく

    『ひなぎく』(Sedmikrasky/'66/カラー/チェコ・スロヴァキア/75分)

    監督:ヴェラ・ヒティロヴァー 原案:ヴェラ・ヒティロヴァー+パヴェル・ユラーチェク 脚本:ヴェラ・ヒティロヴァー+エステル・クルンバホヴァー 撮影:ヤロスラフ・クチェラ 美術:エステル・クルンバホヴァー+ヤロスラフ・クチェラ 衣装:エステル・クルンバホヴァー 音楽:イジー・シュスト+イジー・シュルトゥル 出演:イトカ・ツェルホヴァー(マリエ1役)/イヴァナ・カルバノヴァー(マリエ2役)/他
    ©:State Cinematography Fund

    DAD007031/本編:75min/DVD片面一層式/color/MPEG-2/複製不能/本体3,800円/スタンダード・サイズ/オリジナル・モノラル /日本語字幕(字幕のon・off切替不可)/NTSC日本市場向け
    *Blu-ray特典のシナリオ全訳ブックレットはDVDには付属しません。また字幕は粕三平氏版です。ペトル・ホリー氏監修によって改訂されたBlu-rayの新字幕とは一部訳が異なりますのでご了承ください。
作品解説
  • 金髪のボブで、頭にひなぎくの花輪を飾ったマリエ1、こげ茶の髪をうさぎの耳のように結び、レースのショールを首にまとったマリエ2。

    おしゃれした二人はまるで往年のハリウッド女優。さあ男をひっかけにレッツ・ゴー!

    食事をおごらせ、さんざんバカ騒ぎした後、二人は嘘泣きしてケラケラ笑いながら逃げてしまう。

    「男は“愛してる”って言う以外に、どうして“卵”って言えないの?」
  • 部屋の中で彼女たちは、牛乳のお風呂に入り、紙を飾って燃やし、グラビアを切り抜いているうちに互いの身体をちょん切り初め、ついには画面全体がコマ切れ。

    色ズレや、実験的な効果音、光学処理、唐突な場面展開など、映画の常識も破壊。

    でもユーモアの中に、シュールな不安が。

    自転車で工場に向かう男たちには彼女が見えない。「誰も私たちに気がつかないわ」「どうして?」「私たちはいないのかしら」
  • 60年代といえばゴダール、ウォーホル、パゾリーニ、アントニオーニなどの名作の数々。

    でも'91年になってようやく公開された女性監督ヒティロヴァーの幻の名作『ひなぎく』をはずすことは出来ない。

    物語、撮影手法はときに同時代のゴダール以上の実験精神に富み、観念的というよりむしろオシャレな反逆精神として、現代の女の子の間で自分たちの物語として愛されている。

    「私たちいるのよ ここにいる ここにいる」「破壊されたものを元に戻すことはできるのか?」

    そして最後の字幕は検閲への痛烈な皮肉が。

    「サラダを 踏みにじられただけで 気分を害する人々に この映画を捧げる」。

    ちなみにタイトルのひなぎくはチェコの花言葉で「貞淑」。
コメント
  • 岡崎京子(マンガ家)

    2人の女のこ。2人はこの世の無用の長物で余計ものである。そのことを2人は良く分かっている。役に立たない無力な少女達。だからこそ彼女達は笑う。おしゃれする、お化粧する、男達をだます、走る、ダンスする。遊ぶことだけが彼女達にできること。愉快なばか騒ぎと絶対に本当のことを言わないこと。 それが彼女達の戦闘手段。やつらを「ぎゃふん」と言わせるための。 死ネ死ネ死ネ死ネ!分かってるよ。私達だって「生きて」いるのよ。
    *このコメントは1995年、最初にビデオ化された時にいただいたものです。
  • 矢川澄子(詩人)

    『ひなぎく』のあたらしさ
    「美のためには食を拒んで死ぬことさえできる、おそるべき精神主義者たち」 と、かつてわたしはある少女論にかこつけて書いた。少女にとって、この世にこわい権威は何もない。体制側のヤボなオジさんたちとは、はじめから完全にちがう倫理の下で生きているのだから。そう思いつつ二人の少女のハチャメチャぶりを見ていると、最初と途中に出てくる「鉄」のイメ−ジや終わり方がいかにも象徴的に思えてきた。それにしても六〇年代のさなか、こんな皮肉な映画がカーテンの向こう側で生まれていたとは。チェコの映画人のしたたかさに、あらためて脱帽させられる。
  • 鴻上尚史(劇作家・演出家)

    彼女達は、無敵である。 若く、美しく、スタイルがよく、センスがいい二人の女性に誰が勝つことができよう。だが、無敵である一番の理由は、彼女二人を、誰も理解していないことである。無敵であることの、なんと華やかなことか。 そして、なんと淋しいことか。
  • 野宮真貴(ミュージシャン)

    この映画のふたりの女の子は なんだか涙が出るほど自由に生きている。 可愛い服を着て、おいしいものをご馳走してもらって、 ダンスをして、いつも笑って・・・。 「ひなぎく」ほど悲しいくらい美しい映画は他にはないと思う。
  • Kiiiiiii(U.T.&Lakin'/ミュージシャン)

    私たちダメ人間 そのうえいつも忙しい。 もっと易しい人生を考えなくちゃ。 私たちになにが欠けてる? 死ネ死ネ死ネ死ネ! とてもだめだわ。 だめでも行こう。 ビフテキ食べたい。
    ...そんなひなぎく諸先輩方、 おかげさまでわたしたちもなんとか、 生きてる生きてる生きてる生きてる、 生きまくっております。
  • 江口宏志(ブックショップ『UTRECHT』代表)

    久しぶりに「ひなぎく」を見て、マリエとマリエが現代への接点を持ち続けていることに驚いてしまった。こんなことを書くと、何年後かは笑われてしまうかもしれないけど、二人のメイクは『さくらん』の土屋アンナみたいだし、 部屋中の紙を切り刻み、あげく画面までも切り刻むシーンは、楽器の他に、身の回りの道具をパーカッションやノイズとしてコラージュのように使い、独特の音楽を奏でる、アメリカ人の姉妹デュオ、ココロージーだってきっと大好きなはずだ。パーティ前のテーブルに乗っかって、食べ物を投げ遊ぶ二人を見れば、松本人志の演じるキレキャラ、四万十川料理学校のキャシィ塚本をどうしても思い出してしまう。ひなぎくの二人が蒔いた種は、40年以上経った今日もどこかで花を咲かせているのだろう。
  • 野宮真貴(ミュージシャン、「ZIPPER」1997年1月号より抜粋)

    主役の二人の女の子達の生活ぶりがかわいくて、つい何度も見てしまう。 このふたり、Aラインのかわいいワンピースをいつもお揃いで着ていて、日に何度も着替えたり、メイクを替えたり、やたらと食べるし、働かないし、男達を翻弄するし、徹底的にやりたい放題なんだけど、「楽しまなくっちゃ!」って言う気持ちだけで生きてる感じなの。……中略……
    映画自体がパーティーなのね。
     
  • 山田宏一(映画評論家、「キネマ旬報」1995年6月号掲載「百年の夢」より抜粋)

    スカートをはいたマルクス兄弟とでも言いたいイタズラ好きの奔放な姉妹らしい二人組の女の子が悪ふざけの限りを尽くすアヴァンギャルド映画。「ひなぎく」 

    「毎日中学生新聞」1995年5月27日号より抜粋

    ファッションもメイクも音も色も、 ぜーんぶカワイー! 死ぬほどカワイー!! 「ナック」や「ジョアンナ」や「バーバレラ」など、60年代に作られたオシャレ系女のコ映画はいっぱいある。 でも、これが一番。 これがサイコー。
  • 小澤典代(インテリアスタイリスト、「プラス1リビング」1999年6月号より抜粋)

    インテリアはこれがとってもユニーク。 女の子達のライフスタイルがそのままインテリアになったような不思議な部屋。 生活感なんてまるでなし。 だけどその自由さがかわいくって、まねしてみたくなるアイディアも結構あったりするのです。 壁に葉っぱを貼付けて、ベッドに人工芝を敷いたシーン。 雑誌や本を気ままに切り抜いて、写真や文字を壁にコラージュ、なんてシーンもありました。 これもアートな感じが素敵だった。 ……中略……
    そんなのびのびとしたスピリットをこのビデオからもらっちゃおう!
質問への廻送(1981年11月) ヴェラ・ヒティロヴァー
  • 私は現在についての見方をわきまえているか、よくわかりません。だがそれが現実の世界のなかで生じていることへの私の対応・知覚についてならば、最もつよいのは戦争に対する恐怖です。人間の愚かさ、不寛容さへの恐怖です。私は映画の中でそれと戦いつづけてきました。創造は誇張がなければあり得ません。誇張のあらわれ方やスタイルは、さまざまです。題材のとりあげ方、全体の構成、視覚的なくみ立て、視覚と聴覚のかけ合わせ、演技のスタイルのすべてに、誇張はあらわれ、表現することができます。誇張は多様ですが、大切なのはその限度を見つけることです。誇張の限度の発見は、目的を生かすためにどれだけ実験をおこなえるかにあります。危険をおかさず探求もしないひとは、失敗しないかわりに発見への希望も見出せません。映画を作るうえでのアイデアが、どれだけ誇張されて普遍的な意義をもつかということです。年代の変化はよく意識しています。題材の選び方、作品を依頼する人々の狙い、時代の流れのすべてがスタイルの変化にかかわるからです。しかも最も重要なことは、スタイルづくりはくりかえしてはならぬということです。すでに手にした方法をくりかえし使わない方がいいのです。すでに手にした認識は、日を追うにつれて退屈になるからです。女の監督としては、つねに男の野心や嫉妬のために追われている気持ちになることがあります。男はよくひとの足をひっぱるし、社会体制を観念的につくりあげ、男社会は何でもできる傲慢な顔をします。私はそれと戦ってきました。それはちがいます。私は女としてこういう考え方をしています。その見方は男とはちがいますというふうに、ひとつひとつ戦わねばなりません。これはひどく疲れることです。私が最もいらだつのは、保守主義です。おしつけがましい態度、愚かさ、怠けもの根性です。この三つは男たちがつくりあげたもののうちで、つくづく私が考えさせられるものです。そのどうしようもない不寛容さ、無邪気さ加減、あどけなさぶりは、私が男社会をつよく批判する要素です。私はカネを稼いで、おいしいものを食べ、うまく生きていくようにするつもりはありません。実際、稼ぐこともできません。仕事に生き甲斐を求めるのは、そのせいかもわかりません。世界の他の女性監督とはつながりもなく、その仕事も知りません。純粋に自分だけの要素というのは存在しないのではないでしょうか。個性的で創造的な追求は、普遍的な要素の使い方しだいです。私にとって大切なのは、映画の諸要素の構成です。そこに私の主要な本質があります。部分的な構造の中の対立や対照で第三の意味を語ることです。この対立や対照の方法をできるだけ積極的に利用していきたいのです。そうすることで、二つの意味がぶつかりあい第三の意味が生じるからです。これが映像表現の独自性で、そのすばらしい発見の中にこそ映画自身の秘密がかくされていると、私は思います。
  • 監督:ヴェラ・ヒティロヴァー Věra Chytilová

    1929年、チェコのオストラヴァ生まれ。1962年映画大学FAMUの卒業制作『天井』で早くも注目され、イジー・メンツェルやヤロミル・イレシュ、ミロシュ・フォルマンなどと共に、60年代のチェコ・ヌーヴェルヴァーグの代表的な監督となる。しかしプラハの春以降、『ひなぎく』と『楽園の味』(1969年)が政府に睨まれ、1976年まで活動を停止させられる。『リンゴゲーム』で活動を再開。1989年のベルリンの壁崩壊、チェコのビロード革命以降は、建国の父マサリィクを描いた『解放者マサリィク』や、モーツァルトを描いた『私をみとめたプラハ市民』などを発表。2014年3月12日永眠。チェコ映画のファーストレディーと称される。
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